2009年 10月 31日 (土)

       

■ 秘仏「准胝観音」を公開 紫波町の沢口観音堂で県立博物館学芸員

     
  准胝観音菩薩像  
 
准胝観音菩薩像
 
  紫波町志和地区にある八戸南部藩ゆかりの沢口観音堂で29日、岩手県立博物館の出前講座が行われ、秘仏の准胝(じゅんてい)観音菩薩像が公開された。観音菩薩像は八戸藩初代藩主・直房夫人の霊松院が延宝8年(1680年)に数え18歳で亡くなった2男直常の供養のために建立。代々の藩主が同観音堂を訪れ観音像を拝観してきた。修復、改修、再建などを経て保護している。

 県立博物館学芸員の佐々木勝宏さんによると、霊松院は寛永11年(1634年)に川口源之丞正家の娘として生まれ、時期は不明だが盛岡で直房と結婚、直房との間に2代藩主の長男直政、2男直常、長女御冨の3人の子をもうけた。夫の直房は当初母親の生家の中里氏を名乗り、次いで南部直好になり、知行は200石、寛文4年(1664年)に八戸藩2万石の初代藩主となった。

  延宝8年(1680年)に2男直常が病死。守役の成海與右衛門が出家し、八戸藩の飛び地であった志和の地で亡き主君の弔いをしていた。これを知った霊松院が観音堂を建て、本尊として准胝観音菩薩像を安置し10石の寺領が寄進された。棟札には貞享5年(1688年)に建立したと書かれている。

  厨子を開くと左右の扉に合わせて6枚の札が張られ、札には夫の直房、長男直政、2男直常、霊松院、3代藩主通信(南部重信4男)、4代広信の戒名が書かれている。「厨子に札が張られているというものではなく、位牌札ということになるだろう」と佐々木さん。

  准胝観音菩薩像は腕が8本ある像で台座を含めて63a。本体が髪の生え際までで23a。「貞享5年に造られたのであれば320年前。こういう立派な仏様を盛岡や八戸で造るのは無理。恐らくは京都で造られたと思う。状態が非常に良く、成海家が大正のころまで一般の人には見せず大切にしていたことが分かる」と説明する。厨子の帳は藩主が代わるたびに代えられていたという。

  観音堂内には霊松院が奉納した縁起筒端華鬘1個、華鬘2個、写経したお経を入れて奉納した経箱、3代通信奉納の華鬘1個、大正13年(1924年)に現観音堂を改築した南部利克子爵揮毫(きごう)の看板をはじめ、地域の歴史を検証する上で貴重な史料が数多く保管されている。

  佐々木さんは観音堂、成海家が所蔵する古文書を調べ、2011年に県立博物館で企画展を行う予定。

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