2009年 12月 3日 (木)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉91 望月善次 ばかものの 帝釈天の石筍は

 ばかものの 帝釈天の石筍は すまし
  立ちたり 石灰うつろ
 
  〔現代語訳〕馬鹿者だと言ってよい帝釈天の形をした石筍(せきじゅん)は、すまして立っています。この石灰洞、すなわち鍾乳洞の中に。

  〔評釈〕「寂れたる空」十首〔『アザリア』三号〕の三首目の作品で、「(石灰洞)三首」の三首目ともなる。一首目の「石灰洞 帝釈天の馬鹿者は 石筍にして 天を指さす」、二首目の「ばかものの、 帝釈天は 天を指す この石筍の きげんとりかも」に続いての抽出歌となる。一首目の〔評釈〕においても述べたように、三首は内容的にはほとんど重複している作品である。こうした類似の素材を用いて三首の作品とできることは、話者の観察が一定以上で、かつ作者としての力量も一定以上のものとなっていることを示している。この力量への自負をもって、嘉内は賢治と対等以上に渡り合っていたのであろう。抽出歌に戻れば、核心は「すまし」。原義は「住みと同根。浮遊物が全体として沈んで静止し、気体や液体が透明になる意。『濁り』」の対。」〔『岩波古語辞典』〕。抽出歌に即した「きどる。平気な様子をする。」〔『広辞苑』〕の意味は、派生的な意味で自動詞的に用いられているもの。
(盛岡大学学長)

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