2009年 12月 12日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉137 岡澤敏男 耕耘部を惜別した童話

   ■耕耘部を惜別した童話

  夕暮れから降り出した雪が窓にちらちらしている。第五章はこうした午後5時半過ぎの農夫室で始まる。

  室内の炉の炭火は真っ赤で、明るい電灯の下では赤シャツの男が小さな手帳に〈一月十日、玉蜀黍脱穀〉と書込みました。みんなは本部に行ったり小岩井駅前にお酒を飲みに出かけたりして、農夫室には4人だけが残っている。そのとき柱時計がガンガンガンガン6時をうった。赤シャツの男は反射的に自分の腕時計と向うの時計とを見較べます。

  すると「あの蒼白い美しい柱時計」の怪しい針は「五時四十五分」を指していたのです。さっきは10分進んでいたのに今度は15分遅れている。赤シャツの男は黙って時計をにらみつけました。それを見て炉端の2人の農夫は面白そうに笑います。こうしてお話が一気にクライマックスに達するのです。

  「さあその時です。いままで五時五十分を指してゐた長い針が俄に雷(いなづま)のやうに飛んで、一ぺんに六時十五分の前の所まで来てぴたっととまりました。「何だ、この時計、針のねぢが緩んでるんだ。」と赤シャツは大声で叫んで立上がり、時計の蓋を開いて針をがたがた動かしてみます。ついでに盤に書いてある文字を見て「この時計、上等だな。巴里(パリ)製だ。針がゆるんだんだ」と言いながら針の上のねぢを回すと、みんなもも一度笑ったのでした。

  これで柱時計の針をめぐる六原から転入してきた赤シャツの男と、耕耘部の農夫たちとの葛藤は終るのです。あっけない結末と言えるでしょうが、軍馬補充部の時間に縛られた「社会内存在」と、耕耘部の時間を体内化した「宇宙内存在」との対立を哲学的な童話のテーマにした傑作と評価されてもよいのです。

  賢治は時間に縛られる「社会内存在」に適応できない修羅意識があって「やつぱりおれにはこんな広い処」(宇宙内存在)しかだめなんだ(長篇詩「小岩井農場」第五綴)と告白している。賢治は小岩井農場と同義語の耕耘部こそが「宇宙内存在」だったのでした。

  ところが、通いなれた耕耘部のモダーンな事務所が突然消えてしまったのです。大正12年4月18日の夜、耕耘部の事務棟と隣接する農夫舎が失火によって焼失してしまった。4月20日の岩手日報が報じる「小岩井農場の耕耘部焼く」の記事に、賢治はどんな衝撃を受けたのか。22日(日)に焼け跡を訪れ呆然と立ち尽くしたのでしょう。

  この火災は耕耘部の鈴木弥助主任が3月から9カ月までの予定で欧米の農場視察に出張中で不在でした。賢治を受容し耕耘部のすべてを教えたばかりでなく、農場内を歩きまわる自由も鈴木主任からの恩恵だったのでしょう。長篇詩「小岩井農場」にその自由な歩行が鮮やかに反映しているのです。ちなみに失火原因が漏電とみなされ鈴木主任の責任は問われなかったといわれます。

  この〈耕耘部焼失〉事件が童話「耕耘部の時計」を執筆する動機と推察するのは草稿の原稿用紙にもとづくものです。これは「丸善特製 二」セピア罫の原稿用紙のことで、大正12年8月以降に使用されたとみられているから耕耘部の火災から4カ月後にあたるわけです。

  脱ぷ舎の作業風景、耕耘部の西洋風の鐘、ハクニーの美しい歩様、炉のある農夫室の情景、そして何よりも農夫室のパリー製の《上等な柱時計》に重ねて耕耘部を惜別し執筆したのではないでしょうか。

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