2009年 12月 12日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉98 小川達雄 秋田街道を行く3

      三、夕顔瀬橋

  秋田街道の始点・夕顔瀬橋は、長さ約九八・三b、幅約六・四b、この頃はまだ木橋である。

  夕顔瀬橋からはまっすぐ、秋田街道は南西方向に伸びて、五百bほど先、東北本線の踏切附近までは、祭りの軒提灯が揺れていた。そこまでは呉服店、履物店、食堂などの商店が並び、踏切からはトタン屋根の住宅や大きな醤油店、薪炭店、田圃と続く。

  賢治は、散文「秋田街道」を、町並みのさびしい家々の描写から始めたが、そこには、合評会の盛り上がりからにわかに醒めた、もともとの賢治が顔をのぞかせているように思われる。

  「どれもみんな肥料や薪炭をやりとりす
  るさびしい家だ。それもみんな戸を閉め
  た。
   おれはかなしく来た方向をふりかへる。
  盛岡の電燈は微(カス)かにゆらいでね
  むさうにならび只(タダ)公園のアーク
  燈だけ高い処でそらぞらしい気焔の波を
  上げてゐる。どうせ今頃は無鉄砲な羽虫
  が沢山集まってぶっつかったりよろけた
  りしてゐるのだ。」

  新田町の戸を閉めた家々に、若者たちはなにか、人の営みを感じ取ったらしい。保阪は、次のように歌った。

  しっとりと濡れた/街路に向ふ家/たい
  がい/木戸を閉めてあるかな、
  また『アザリア』二号には、河本義行に次の句があった。
  淋しい月がさしよりて寝しづまる家
  ※これは自由律句誌『層雲』九月号の同
  人欄に掲載されている。

  賢治は公園のアーク燈と羽虫のことを記したが、昭和八年の八月、亡くなるひと月前にようやく清書を終えた文語詩「岩手公園」で、賢治はこう歌っていた。

  〜弧光燈(アークライト)にめくるめき、
   羽虫の群のあつまりつ、
   川と銀行木のみどり、
   まちはしづかにたそがるゝ。

  賢治は、公園のこの情景を、いつも思い出していたのであろう。してみると、この「秋田街道」の一文も、なおていねいに読んでみたくなる。

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