2009年 12月 19日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉139 岡澤敏男 文語詩「塔中秘事」の謎

 ■文語詩「塔中秘事」の謎

  前述の通り宮沢賢治は耕耘部を中心に小岩井農場をよく歩き回ったので、農場を舞台にした幾多の作品がみられる。そのなかで最後の作品となったのが「文語詩稿 一百篇」に収録されている「塔中秘事」です。賢治の文語詩は文学的生涯で到達した病床での詩業でした。昭和5年1月「病床で文語詩の制作を始める」と堀尾青史『年譜 宮沢賢治伝』にあるが推敲を経て定稿にまとめたのは病没する一カ月前の最晩年のことでした。昭和8年8月15日に「文語詩稿 五十篇」の清書を終え、7日後の22日に「文語詩稿 一百篇」の推敲清書を終えたといわれる。「塔中秘事」もそのころに定稿となったものと思われます。この詩は賢治が「双四聯」と称した四つの句からなる連が二つ組合わさって構成する詩型で、漢詩の絶句のように起承転結をふまえ含蓄のある叙事詩的な優れた作品です。
 
  雪ふかきまぐさのはたけ、
    玉蜀黍(きみ)畑漂雪(ふき)は奔りて、
  丘裾の脱穀塔を、
    ぼうぼうとひらめき被ふ。
 
  歓喜天そらやよぎりし、
    そが青き天(あめ)の窓より、
  なにごとか女のわらひ、
    栗鼠のごと軋りふるへる。
 
  病床の賢治がこの詩にどんな思いを封じ込んだものだったのか。エロスを滲(にじ)ませてなまめく第二連の世界は、ずっと秘めてきた心の深淵を死の直前にして妖しく覗かせるもので、なにかゾクッと身震いがします。死の直前にこの詩に託したメッセージにはどんな謎を隠しているのか、それを考えてみたい。

  じつはこの定稿の成立には推敲された七つの下書稿(先駆稿)が現存されております。発想された農場の性格が定稿の第一連からはよく見えてこないが、つぎの下書稿(一)をみると農場の原点がかなり明確に示唆されているのがわかります。
 
  藍銅鉱(アズライト) 
  今日もかゞやき
  はかなしや 天の湯気むら
 
  これはこれ岩崎と呼ぶ
  大ブルジョアの農場なれば
  大豆倉庫は三階にして
  ガラス窓さへたゞならず
 
  太陽雲を出でぬれば
  せはしき雪の反射あり
  そのなめらけきガラス窓より
  栗鼠の声してわらひもれくる
 
  第2連に「岩崎と呼ぶ/大ブルジョアの農場」とあることから、この農場がたしかに小岩井農場を指していると理解されます。また第1連の「藍銅鉱」の輝きと第2連の3階の大豆倉庫から、この建物は耕耘部の四階倉庫がモデルと推察されるのです。賢治が4階の建物をなぜ3階としたのか、その謎も追々と分かってきます。

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