2009年 12月 26日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉140 岡澤敏男 本邦唯一の木造四階倉庫

 ■本邦唯一の木造四階倉庫

  前回の写真にあった四階倉庫は小岩井農場独特の素晴らしい建築物です。この倉庫は戸田務場長(第四代目農場長)が欧州を視察した際にオランダで見たものを参考にして大正5年(1916年)に作られました。

  本来は馬の主食である燕麦の乾燥用の倉庫だが、大豆や玉蜀黍(とうもろこし)の乾燥・俵詰め、大豆選種作業にも使われました。

  母屋は東西10間×南北8間もあり延320坪にも及ぶ本邦唯一の木造四階倉庫です。

  この倉庫にはエレベーター、エスカレーター、斜形の樋(4階から2階まで)など斬新な設備が完備されていました。

  古色蒼然たる現在の建物からは想像できないが、当時は、白木造りで2階から4階までは四方ガラス張りで朝日にギラギラ反射し輝いていたという。また屋根の外装は新築時には柾葺(まさぶき)だったが大正8年鉄板葺に改装されたので日光に反映し、「そら、もう向ふに耕耘部の/亜鉛の屋根が見えて来た。光ってるぞ」(「小岩井農場」下書稿)と述べ、その「光る屋根」が遠隔地からもよく見えたので「小岩井の耕耘部の小さく光る屋根を見ました」と「母に言う」(〔野馬がかってにこさへたみちと〕の先駆稿)で述べている。

  四階倉庫の「光る屋根」はまさに小岩井の塔(望楼)的存在だったのでしょう。

  このように光っている鉄板葺屋根を「塔中秘事」の下書稿(一)では「藍銅鉱 今日もかゞやき」と藍青色の光沢をもつ鉱物「藍銅鉱(アズライト)」で比喩(ゆ)し、また四方ガラス張りという偉容には「ガラス窓さへたゞならず」と述べ、明らかに四階倉庫をモデルとしてるわけですが「大豆倉庫は三階にして」と、賢治はなぜか「三階」にこだわっているのです。

  小岩井農場に三階の建物が存在したことはなく、最初は賢治の錯覚かと疑いました。ところが四階倉庫は穀物の倉庫では第三番目に建てられ帳簿上は〈第三号倉庫〉となっており、業務上では三号倉庫と常々呼んでいたと耕耘部の古老から伺いました。

  そこで、この「三号倉庫」を「三階倉庫」として観念連合したかとも推察しました。しかし耕耘部に精通する賢治には四階倉庫を三階倉庫と錯覚する可能性は乏しく、この作品の「三階倉庫」は意識的に虚構されたものであって、「三階」こそはテーマとかかわる重要な要件とみなされるのです。

  まず下書稿(一)の原形に手を入れて「これはこれ岩崎と呼ぶ/大ブルジョアの農場なれば」を削除しました。これによって作品現場を小岩井農場のイメージから解放させ、三階倉庫は四階倉庫とは無関係の存在として現象させるのです。そのために大豆倉庫に手を入れ三階倉庫の由緒をつぎのように創出しました。
 
  そのかみの博物館を
  いま大豆の倉庫としたれば
  三階に玻璃を装へる
  そのすがたまたたぐひなし
 
  賢治が博物館とよぶのは小岩井農場の陳列館を指していることは「前にはいちいち案内もだし/博物館もありましたし」と「遠足統率」の詩にもみられます。この陳列館は明治42年(1909年)に開館され昭和8年(1933)に閉館されるまで、大豆倉庫へ転用の事実はなく明らかに賢治の虚構です。陳列館を三階倉庫に転用すべき真の意味はどういうことだったのか。

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