2010年 1月 3日 (日)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉141 岡澤敏男 プデングに似る博物館

 ■プデングに似る博物館
 
  賢治は四階倉庫を下敷きにしながら三階倉庫と虚構したのは、この詩のモチーフである「塔」という建造物の想定からで、そのイメージのもとに陳列館である博物館を3階の基礎構造にあてたものとみられる。

  下書稿(二)は次の2・4・7の三連構成となっています
 
  藍銅鉱 今日もかゞやき
  はかなしや天の湯気むら
 
  そのかみの博物館を
  いま大豆の倉庫としたれば
  三階に 玻璃を装へる
  そのすがたまたたぐひなし
 
  日ぞ雲をほのに出づれば
  すがれたる玉蜀黍(きみ)のはたけに
  さとばかり立つ雪けむり
  かの大豆の倉庫の二階
  なめらけきガラス窓より
  何事か女の声の
  栗鼠のごとわらひ軋れる
 
  ところが、この第一行に手を入れ「修弥の面けふもかゞやき」と改めたのです。「修弥」とはもちろん仏教の宇宙観の中心にある「修弥山」を指しています。三階倉庫の屋根を「藍銅鉱」の光沢よりももっと神々しく輝くと表現したものとみられる。

  しかしこの詩句は下書稿(三)に採用されずに終わるが「修弥」の観念は伏流水となって定稿の「塔」の屋根に輝くのです。

  次に注意されるのは「大豆倉庫」を「玉蜀黍の脱穀倉庫」へと発想を転換したことで、下書稿(三)より下書稿(五)まで第一連が「大豆の倉庫は三階の玻璃」より「玉蜀黍くだく三階の玻璃」となっている。

  そのかみの博物館を
  いま玉蜀黍の倉庫としたれば
  ふゞきまたひかりて襲ふ
 
  さらに注目するのは、下書稿(六)の第一連において次のような一行を加筆挿入したことです。
 
  巨いなるプデングに似る
  そのかみの博物館は
  いま玉蜀黍の倉庫とかはり
  ふゞきまたひかりて襲へば
 
  博物館(陳列館)を「巨いなるプデング」と形容した背景には、ある建造物のイメージをダブらせたものと思われる。その建造物とは巨きな半球体をしたインドのサーンチー仏塔(ストゥーバ)で、たしかにプディングとどこか似通っているのです。

  それにしても、死の直前に「プデング」をサーンチー仏塔に着想したとは驚嘆のほかはない。

  『宮沢賢治ふれあいの人々』によれば、森荘已池は賢治から「おごりの頂上の洋定食」を盛岡(太洋軒)や花巻(精養軒)でごちそうになったそうだから、「プデング」とは賢治の青春時代のひとこまのデザートだったのでしょう。

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