2010年 1月 10日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉106 小川達雄 秋田街道を行く11

    十、荷馬車と洋傘

  秋田街道の旅はようやく終点まで行き着き、次はその帰り道で仰いだ、輝く雲海の讃歌である。それはその道で怒鳴られた、忘れがたい思い出に続いていた。

  「帰りみち、ひでり雨が降りまたかゞや
  かに霽(ハ)れる。そのかゞやく雲の原
   今日こそ飛んであの雲を踏め。
 
  けれどもいつか私は道に置きすてられた
  荷馬車の上に洋傘(コウモリガサ)を開
  いて立ってゐるのだ。
  ひどい怒鳴り声がする。たしかに荷馬車
  の持ち主だ。怒りたけって走ってくる。 そのほっぺたが腐って黒いすもものや

 う、いまにも穴が明きさうだ。癩病(ライ
  ビョウ)にちがひない。さびしいことだ。」

  帰り道になるとしぜんに気持ちも軽く、足取りも弾む。賢治はパラパラと降ってくる、「ひでり雨」に会う。

  ここのところは、童話「めくらぶだうと虹」の冒頭シーンと同じであって、その童話では、かすかな日照り雨の後に大きな虹が、夢の橋のようにあらわれてくる。めくらぶどうが憧れていた、まばゆい虹の登場であるが、この「秋田街道」でも、「ひでり雨」の晴れた後には、かがやく「雲の原」が出現していた。

  「今日こそ飛んであの雲を踏め」と、勢い込んでいったのは、秋田街道を深夜に歩き、今日は友との絆をたしかめることができた、得難いよろこびからであったろう。文芸誌『アザリア』は無事に出来上がり、遅くまでみんなと語り合った。

  この語句はごく短いけれども、それはめくらぶどうが虹に呼びかけたと同じ、主人公のよろこびの声である。その童話とちがうのは、童話では切ない思いの打ち明けであったのに、こちらには仲間と歩き通した、大きな満足感が存在していた。

  ところが、賢治は重病の男にひどく怒鳴られてしまう。まるで奈落への逆落としであるが、さてその前に、賢治は荷馬車の上に、洋傘を開いて立っていたという。

  これはいかにもふしぎな振る舞いで、賢治が実際にそうしたのか、疑問の残るところである。しかし、記述のままに受け取ると、それは「今日こそ飛んであの雲を踏め」という、弾んだ気持の現れにほかならない。

  しかし、断りもなく荷馬車の上に乗ったとすれば、荷馬車の主が怒るのも無理のないところである。なにせその時、賢治は相手かまわず、他人の所有物を占拠した侵入者だったのだから。

  ここのところ、賢治がいくら明るい気持ちを持っていたとしても、残念ながらそれは一人の情緒の範囲でしかなく、相手のテリトリー(生存範囲)を侵したという行動が、それで帳消しにされる筋合いのものではなかった。

  賢治は、苦しい病いの男に、人間の奥深いさびしさを感ずるが、同時に、ここでは全く違った人間のあいだに存在する、深い亀裂が語られていたと思う。


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