2010年 1月 16日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉143 岡澤敏男 プデング15銭、珈琲10銭の時代

 ■プデング15銭、珈琲10銭の時代

  賢治がインドの仏塔を比喩(ゆ)したプデングは、現在の甘味世界ではプリンの名で私たちの日常に深く入り込んでいるが、初めて日本にもたらしたのは17世紀初頭の長崎のオランダ商館だったらしい。

  このお菓子が確認される初めての文献は仮名垣魯文が明治5年に著した『西洋料理通』といわれる。この中でプデングはポディングと呼ばれ、また明治36年刊の家庭向の『洋食のおけいこ』にはプッジング、同年の村井絃斉著『食道楽』では「プデン」と記されるなどして名称もまちまちに紹介されている。

  そのなかで賢治はプデング(Pudding)と正式名で述べている。盛岡・花巻の洋食店のメニューがプデングとあったからでしょう。

  吉田義昭著『盛岡明治・大正・昭和「事始め百話」』によれば、盛岡における西洋料理店は明治18年の「丸竹」「清遊軒」(盛岡公園地)、「西洋軒」(肴町)が創始で、明治36年ごろに秀清軒、明治末に「日盛軒」(内丸)、大正期に「太洋軒」(新馬町)がお目見えしたといわれる。

  花巻の「精養軒」は大正12年に創業したと泉沢善雄氏の「賢治エピソード落ち穂拾い」Aにみられます。このなかで東海道線の大正期における「食堂車メニュー」(上野精養軒扱い)が掲載されている。

  そのアラカルトにプッディング(Pudding)が15銭と表示され珈琲の10銭より高価だったことがわかります。賢治のプデングは森荘已池著『宮沢賢治・ふれあいの人々』にあるように「太洋軒」、「精養軒」でなじんだものと思われます。

  それにしてもサーンチー仏塔をイメージして農場の「博物館」を「巨大なプデング」と見立てたのは、まことに絶妙無比なる比喩でした。しかしこの比喩は定稿にはその痕跡さえうかがえないのです。

  この比喩は文語詩「塔中秘事」の下書稿(六)においてまるで虚空を横切る流星のように挿入された
もので、この流星は「巨なるプデングに似る」という光芒を曳(ひ)いて通過し下書稿(七)では残像すら残されていないのです。

  たとえ草稿の推敲過程とはいえ膨大な賢治作品の中でたった一例とみられる「プデング」の比喩は、それだけに無限の夢をそそる貴重な存在と思われます。

  賢治はサーンチー仏塔の存在をどこで知り得たのかナゾですが、四階倉庫を三階倉庫と見立てたことからそのナゾを解く糸口が暗示されるのです。

  釈尊ブッダの分舎利を埋蔵する仏塔に三重の塔が韓国(仏国寺、華厳寺)や日本(石塔寺、浄瑠璃寺、薬師寺)にあり法華経ではこの塔を多宝塔と呼ぶものらしい。三重塔のほかに五重塔もあるがいずれも釈尊の墓所を意味する仏塔です。塔の名は、ストゥーパを音訳した卒塔婆・塔婆を略したもので、ストゥーパの最古の遺例としてサーンチーの第一塔があるのです。

  ところが、どういうわけかサーンチー仏塔の本体をなすアンダといわれる半球形の部分が中国の塔には受容されなかったのです。そして仏塔は中国では九層(霊隠寺)や十三層(六輪塔)の多重形式になり、韓国や日本では三重・五重塔として建造されたものとみられます。

  この半円形のアンダは「卵」という意味で宇宙のはじまりのとき原初の海に浮かんでいた「宇宙卵」だといいます。この半球体はまた原初の海底から浮き上がった「山」との観念もあり。この山をインドではマンダラ山、スメール山とよび、中国では須弥山と漢訳されている。なぜインドの「宇宙卵」の観念が中国、韓国、日本に受け入れられなかったのでしょうか。

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