2010年 1月 20日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉160 伊藤幸子 「源実朝」

 世の中はつねにもがもな なぎさこぐあまの小舟の 綱手かなしも
鎌倉右大臣
 
  正月はなんといっても百人一首を素通りしては暮らせない。意味など知らずただまる暗記して取り札をふやしていった幼時期。定形歌のリズムが快く、時に暗号のようにことばの束が口をつく。そんなとき、いつもこの歌の「つねにもがもな なぎさこぐ」で混乱し、大人たちに「もがもなってナニ?」と何度も聞いたものだ。

  私は今でも百首の作者はとても覚えきれないが、この歌の「鎌倉右大臣」とは言うまでもなく鎌倉三代将軍源実朝。朝廷から右大臣という高位に叙任されている。父頼朝、母北条政子の二男、藤原定家に師事。

  歌意は「この海のなぎさをこいでゆく海人の夫婦の、なんと根気よくどこまでも綱手を引いてゆくことよ。世の中も(男女の間柄も)いつまでも変わらないであればよいことだ」と、大方の注釈が一致している。「もがも」は願望の終助詞、デアレバヨイガナアと解釈。

  さて、鎌倉は雪だった。建保7年(1219年)1月27日、実朝、右大臣就任拝賀の式を鶴岡八幡宮に於て盛大にとり行う。当日、鎌倉は夕方から急に冷えこみ、積雪は一夜のうちに二尺をこえたと記される。夕刻6時、実朝は長い行列を組んで将軍御所より出発、鶴岡八幡宮へと向かう。

  神前での拝賀の式は滞りなく終った。降りしきる雪の中を実朝は大いなる安堵感に包まれて長い石段を下り始める…。歴史に残る名場面、大河ドラマでも芝居でも見た。最も古い大河のときの政子役は岩下志麻だった。

  一刀のもとに将軍を弑(しい)したのは、実朝の兄頼家の遺児、公暁。ここに清和源氏の嫡系は断絶、生きながら地獄を見た政子の嘆きが思われる。実朝享年28。因みに百人一首にとられている東国の歌人は実朝ひとりである。

  「今朝みれば山も霞みてひさかたの天の原より春は来にけり」実朝の「金槐集」巻頭の歌。「正月一日よめる」と詞書がある。28歳を一期とした青年将軍の頌歌として読めば、大らかな調べの中にも初々しさが心にしみる。私も先年、鶴岡八幡宮に初詣をした。石段をゆく夥しい参拝者の頭ごしに、大銀杏の枝をときおり伝い走るリスたちの姿が見えた。

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