2010年 1月 21日 (木)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉111 望月善次 なれは又、何とてさはな

 なれは又、何とてさはな悲しみそ、三
  味の色さへ乱れ果てたり、
 
  〔現代語訳〕お前はどうしてそんなに悲しむのですか(悲しまないでください)。(お前のその悲しみに添うように)三味線の音も乱れきっております。

  〔評釈〕「明烏春泡雪」十三首〔『アザリア』四号(大正六年十二月十六日)〕八首目。抽出歌の範囲では、「なれ」を特定することは難しく、従って、その「悲しみ」を特定することも難しい。「さはな悲しみそ」は、一見、話者がその「悲しみ」を否定しているように見えるが、そうではない。十分に共感しながら、「さはな悲しみそ」と言っているのである。(具体的に言えば、前回取り上げた、「八百屋お七」の「悲しみ」の場合にも適合しよう。)その上で、「悲しみ」の内容に言及するのではなく、視線を、現代流に言えば、バック・ミュージックをなしている「三味線」の音に転じ、その音が、乱れ乱れている「なれ」の心に合致するように「乱れ果てたり」としているのである。なお「三味の色」の「色」は、原義は「色彩」であるが、「顔色、容姿、愛情、趣」に及び、「三味の色」の場合は、「調子、響き」の意味であり、「音色(ねいろ)」、「声色(こわいろ)」の例がある〔『広辞苑』〕。

  (盛岡大学学長)

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