2010年 1月 27日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉161 伊藤幸子 「嫁が君」

 飾り餅一つ二つとなくな るは嫁が君殿運びゆくら し
栗村住江
 
  特定の期間だけに用いられる忌みことばというものがある。ここに詠まれている「嫁が君」も、俳句では新年の常套語としておなじみで鷹羽狩行さんの「立ち止まりては考へて嫁が君」もよく知られている。なんと、この「嫁が君」とはネズミの別称。特に正月三が日間のネズミをいう忌みことばと解される。

  こんな風に既成のことばを作中にとり入れるのはむずかしいが、掲出歌をネズミと知らず読んでしまうと笑いがこぼれる。むかし、ある家の姑がよんどころなき用ありて、出かけることになりました。そこでぼたもちに、『人が見たらカエルになれ』と言いきかせ戸棚にしまいました。これを聞いていた嫁ご、大喜びでたいらげて、姑に「なにやら戸棚からカエルが仰山逃げだしました」と言ったお話しもある。むかしはネズミもカエルも、時にはキツネやタヌキまで人の暮らしの中に居た。

  また、正月三が日に天から降ってくるものを「お降(さが)り」と呼んでいる。雪や雨霰などをさし、去年各地に降ってきた魚やオタマジャクシのことではない。「お降りや杉の青さの中を降る」秋篠光広。「お降りや新藁葺ける北の棟」宝生犀星さんの句の、葺いたばかりの屋根のたたずまいは今ではめったに見られない。

  「お降り」よりもはっきり目には見えない「淑気」というものを、それこそ正月の天地に漂うめでたい気配として詠まれた句。「眼前に富士の闇ある淑気かな」東良子「衿替へて八十の母淑気満つ」山田みづえ。時を経ても俳人たちの感性、詩風に粛然とする。

  「歌舞伎座の廊下にながき御慶かな」喜多みき子。「歌舞伎座へ妻に従ふ初芝居」中谷静雄。めでたく大海老の載った大鏡餅が飾られ、紅白のもち花の枝が揺れて、華やかに装った人々でにぎわう歌舞伎座。あちらでもこちらでも丁寧な長い御慶が交わされる。「初曽我や敵を前に長科白」大堀柊花。客も科白をのんでいる。

  小正月16日、地獄の釜の蓋のあく日は当地区では皆でお寺参りに行く。お墓はすごい雪だった。そういえば、中国から花嫁がきたと聞いたのもお墓での立話だった。10年もたとうか、知らぬ間にはるかな時がすぎてゆく。

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