2010年 1月 30日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉145 岡澤敏男 女の笑いと歓喜天

 ■女の笑いと歓喜天

  歓喜天の出現によってこの詩の輪郭がかなり明確になりました。そもそも「塔中秘事」という題名は定稿につけられたもので、下書稿(四)には「農場」のタイトルが書かれているのです。

  「農場」のタイトルから連想するモチーフは、どこか雪深い北国の「農場」で起こったエピソードが想定されるわけです。

  さらにまた下書稿(一)に「これはこれ岩崎とよぶ/大ブルジョアの農場なれば」とあるので、てっきり「農場」とは小岩井農場のことだと推察するのは当然です。

  しかし小岩井農場では四階倉庫を三階倉庫に改造したことはなく、またこの倉庫を陳列館(博物館)から倉庫に転用したという話もまったく無根なので、やがてはこの「農場」が「虚構の農場」だと気がつくのです。

  この詩のモチーフは3階のガラス窓より漏れてきた「をんなのわらひ」によって発想されたものとみられるが、これは虚構ではなく賢治が小岩井農場で実際に耳にしたことなのでしょう。

  しかも花巻(稗貫)農学校の教師になって耕耘部を初めて訪れたときのことかと思われます。長篇詩「小岩井農場」にみられるように大正11年(1922年)1月のことと推察されます。

  そのとき四階倉庫から漏れ聞いた「をんなのわらひ」に若かった賢治がときめきを感じたとしても不思議ではありません。それが晩年の病床にある賢治の耳になぜきこえてきたのでしょう。

  「塔中秘事」は昭和8年(1933年)ころの詩だから、ずいぶん長く深層に秘められた「をんなのわらひ」であったものです。だが、その「をんなのわらひ」があの時とは異なった声音に聞こえたのです。賢治はその声音をさまざまに反芻(はんすう)し形容して真相に迫ろうとしました。

@そのなめらけきガラス窓より 下書稿(一)のA
  栗鼠のごとわらひもれくる

A何事か女の声の       下書稿(一)のB
  栗鼠のごとわらひ軋れる

Bなにごとか女のこゑの    下書稿(三)
  〔りりとして↓(削)〕
  りすのごと〔わらひ↓しばし〕軋れる

Cなめらけき大窓の辺に    下書稿(四)
  秘めわらひりりともれくる

Dなにごとか女のわらひ    下書稿(六)のA
  りりとしていましもれくる

Eなにごとかひめたるわらひ  下書稿(六)のB
  うちふるひりりともれくる

Fなにごとか 女のわらひ   下書稿(七)
  ひそやかに りりともれくる

Gひそかなる女のわらひ    定稿・第一次形態
  何ごとかりりと漏れくる

Hなにごとか女のわらひ    定稿・最終形態
  栗鼠のごと軋りふるへる

  このように形容された「をんなのわらひ」は「栗鼠の軋り」のようで、それが幾分震えを帯びた「りり」という擬音で形象しました。

  さすが擬音語(オノマトベ)の天才らしい繊細さで「わらひの声音」を形象化してはいるが、「わらひ」をもたらした真相の形象化には手が届かない恨みが残ったのです。

  その決め手として採用したのが「歓喜天」の出現です。「栗鼠の軋り」の「りり」という「をんなのわらひ」について、その真相が「歓喜天」の出現により一気に形象化することができました。

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