2010年 2月 10日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉167 伊藤幸子 「大相撲」

 初場所も十日の幟きそひをり
木村美保子
 
  節分、立春と季節の分れ目に合わせるように、相撲界が揺れている。テレビは朝から晩まで両国の国技館界隈を映し、横綱の品格や新理事の顔ぶれ、新仕事の役割などを報じている。

  私はふと、山本夏彦さんの博識なエッセーを思い出し、古びた本を再読した。明治37年大相撲春場所のことが書いてある。当時の相撲は晴天十日で、春場所と夏場所しかない。あとはすべて花相撲で星にならないから、三十を越しても土俵をつとめられたという。

  明治37年1月といえば日露戦争の起こるひと月前のこと。大相撲春場所横綱常陸山と荒岩の一番の懸賞に、なんと芸者お鯉の体がかけられるという椿事があった。これは双方力士の贔屓が起こしたことで、お鯉の知ったことではないとはいえ、客の約束は芸者の約束。お鯉は荒岩が勝つことを摩利支天に祈り、果然荒岩は勝った。「荒岩はお鯉に、女房になってくれと言った。荒岩の袂にはその日の祝儀一万三千円がある。百円札ばかりで熱狂した贔屓が投げこんだものである。今日の相撲はお前さんのあと押しで勝てた。その礼だからと荒岩はお鯉に札たばを押しやった。お鯉はむろん取らなかった。かえっていやな気がして立つと荒岩はそれと察して詫びた……」

  今から百年も前の大相撲の話。お鯉は知らないが相方の文人黒岩涙香は大の相撲好きで、しかもこの荒岩に千円もする化粧回しを贈っている。さらに黒岩の正妻もまた荒岩をひいきにし、「新聞界ではこのことはよく知られていたが同業のよしみで誰も書かなかった」。

  2月4日、平成の大横綱朝青龍は、突然引退した。この日、伝統だの品格を言う親方衆や角界の大勢の人々の中で、朝青龍だけが着物姿だった。私はまたもや山本読本のページを繰る。「お鯉はべつに西園寺老公は着道楽だと聞いて、つくづくと拝見した。大島の蚊絣、それも針でついたようなこまかい絣の二枚着に羽織は黒八丈の無地、袴も八丈の無地、帯はカピタン、金唐革の煙草入れ、帯〆は珊瑚の五分玉、紙入れは古代更紗。玄関で帽子をとられ丁寧に辞儀して入る茶人風だった」。桂太郎宰相邸での描写。今日は角界ドキュメントを見ながらはしなくも百年前の様式美に思いをはせた。

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