2010年 2月 13日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉147 岡澤敏男 塔の宇宙観

 ■塔の宇宙観(コスモロジー)

  ストゥーバとしての「脱穀塔」をイメージした賢治は、「ひめたるわらひ」の正体をコスモロジーとしてとらえたのではなかったのか。それは、下書稿に残す小さな爪痕から微妙な揺れを読みとれるのです。下書稿(六)の「歓喜天」の出現は「青ぞらの下歓喜天」↓「歓喜天かがやき降るや」を経て「歓喜天そらやよぎりし」と推敲(すいこう)し、この形態で「下書稿」(七)に定着し「定稿」へと移行しているのです。
 
  歓喜天そらやよぎりし
   なめらけき窓ガラスより
  ひそかなる女のわらひ
   何ごとかりりと漏れくる
 
  ところが右の一行目の下段に対してなお意を尽くしていないと感じたのか「なめらけき窓ガラスより」を「そが青き天の窓より」と手を入れている。この改作は物質的な「窓ガラス」から観念的な「青い天」へと思考の転換を示しています。賢治がこれをもって最終形態としたことに注目されるのです。
 
  歓喜天そらやよぎりし
   そが青き天の窓より
  なにごとか女のわらひ
   栗鼠のごと軋りふるへる
 
  いうまでもなく「天の窓」とは単なる「青い空」の比喩(ひゆ)ではなく「青き天空(宇宙)」という観念を内在すると解されます。すなわちシヴァ神とパールヴァティ妃の子供であるガネーシャ(歓喜天)にはヒンドー教のシンボル的思想である大宇宙と小宇宙の合一という観念があり、「歓喜天」と「青き天」とは密接に呼応するとみられます。

  したがって「塔」とは「天空の塔」であって、その塔より漏れてきた「女のわらひ」が「歓喜天」の秘め事であったと述べているのです。

  かつて四階倉庫より漏れてきた「女のわらひ」について賢治は「真昼の情事」の「よがり声」という俗なる解釈ではなく、「歓喜天」を出現させて天空の「塔中秘事」という聖なる解釈をしたことろに晩年の賢治の宗教意識がみられるのです。

  これまでの推敲過程からみて、どうやら真言密教への歩み寄りが予感されます。玉蜀黍の倉庫に改築されたとする博物館の「巨なるプテング」に似た曲線は、サーンチーの「宇宙卵」を導入し、インド的な塔を構想した空海の高野山創建大塔とオーバーラップし、露出させた「亀腹」とよぶデザインに宇宙卵が察知されるのです。

  空海の大塔は、中心に大日如来が鎮座し、そのまわりに諸仏、諸菩薩がとりまくマンダラ宇宙とみられる。密教における胎蔵・金剛両界マンダラの外院には「歓喜天」が描かれているのです。

  賢治の詩に五輪塔を素材とした「晴天恣意」(「春と修羅 第二集」)という作品がみられる、空海と五輪塔とは密接な関係があるといわれます。

  空海は地・水・火・風・空の五大に精神活動の識を加えて六大として、宇宙もこの身も六大からなって相互に結びつき、生命と精神が活性化され悟りの境地に至ると説いている。また空海は『大日経』や『金剛頂経』をベースに五大と身体を結びつけ瞑想(めいそう)の中で仏と一体化し「足より臍に至るまで大金剛輪(地輪)を生成し、これより心に至るまで水輪を思惟すべし、水輪の上に火輪あり、火輪の上に風輪あり」(『即身成仏義』)と自身を五輪として感じとるよう真言者に呼びかけている。

  空海没後にひろまった五輪塔は、この観念を形象化したものといわれているのです。


  ■ 詩篇「晴天恣意(「春と修羅 第二集」)抜粋

  つめたくうららかな蒼穹のはて
  五輪峠の上のあたりに
  白く巨きな仏頂体が立ちますと
  数字につかれたわたくしの眼は
  ひとたびそれを異の空間の
  高貴な塔とも愕ろきますが
  畢竟あれは水と空気の散乱系
  冬には稀な高くてまばゆい積雲です
    (中略)
  堅く結んだ準平原は
  まこと地輪の外ならず
  水風輪は言わずもあれ
  しろくでまばゆい光と熱
  電、磁、その他の勢力は
  アレニウスをば俟たずして
  たれか火輪をうたがはん
  もし空輪を言うべくは
  これら総じて真空の
  その顕現を超えませぬ
  斯くてひとたびこの構成は
  五輪の塔と称すべく
    (以下省略)


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