2010年 2月 13日 (土)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉120 望月善次 山羊遊ぶ十二月昼の

 山羊遊ぶ十二月昼の草なれば百姓たち
  の足はつめたし
 
  〔現代語訳〕山羊が遊んでいる十二月、この十二月の昼の草なので、百姓たちの足は冷たいのです。
  〔評釈〕「鴉と空」六首〔『アザリア』四号(大正六年十二月十六日)〕の四首目の作品。一首の眼目は、「なれば」であろうか。通常の論理からすれば、「AなればB」となった場合は、AとBとの間に論理的整合性があることが望ましい。抽出歌で言えば、「山羊遊ぶ十二月昼の草」と「百姓たちの足はつめたし」の間に論理的整合性があることが望ましいのである。しかし、詩歌、特に短歌のような短詩型文学の場合においては必ずしもそうではない。むしろ、「山羊遊ぶ十二月昼の草」と「百姓たちの足はつめたし」とは、微妙にかかわった方が良い。両者の関係は、絶妙というわけにはいかないが、嘉内は、そうした微妙な「なれば」を使うことができる力量(少なくともその初期の段階の)は備えていたと言って良いだろう。力量と言えば、第二句から第三句にかけての「十二月昼の草なれば」の「十二月昼の」の第二句から第三句の「草」へとつないでいく強引さの中にも嘉内の力量の一端はうかがえよう。
  (盛岡大学学長)

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