2010年 2月 20日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉117 小川達雄 江刺路の山7

   三、続々・伊手からの第三信

  賢治がスケッチした山はここ、と推定した井上克弘氏に従って、もう一昨々年のことになるが、わたしは級友の地質学徒・及川昭四郎氏と、その地を訪ねたことがあった。

  新幹線の水沢江刺駅に、午前八時前に着くと、及川氏の車は長駆、盛岡からすでに到着していて、車はすぐに昔の県道、岩谷堂から藤里村を通る興田街道から伊手に向かう。北海道の美暎を思わせる美しい沃野が続いて、前方に緑のおとなしい山が現れてくると、及川氏は「あれが銚子山だ」といった。

  高さは盛岡のあの岩山と同じくらいで、いかにも親しい、そこを賢治がつい先日に調査した、と思われる山である。街道から小道を入ってしばらく、銚子山をめぐる道の入り口で車を降りた。

  ススキ、タケニグサ、マメの蔓、それにアカマツの群れ。アカマツは若いが、それでも、賢治のスケッチにあった、「すぐに御想像のつく通りこれらは松の木立です」、そんな状態をしのばせる。

  銚子山では、賢治が山の断面図のそちこちに、「蛇紋岩の露出」と記した、その露出を目にしたかったのであったが、道端の崖の崩れた窪みを調べて、及川氏は、どうもちがうようだ、と云った。

  なるほど、その底の石塊はにぶい黒色でこまかく、あの蛇紋岩の光沢はまるで認められない。結局、山の麓を周回したものの、その時は次の種山ケ原に向かってしまったが、その翌年にもう一度訪れた後、及川氏からはこんな連絡があった。

  「去年と今年見た道路脇の露出は、賢治
  も蛇紋岩とは見なかったでしょう。それ
  は縞状の緑色岩類と熱変質を受けた角閃
  岩類かと思います。賢治がスケッチした
  蛇紋岩は、私達が通った道ではなく、井
  上氏の推定ルートにある錠子山の北側
  か、もしくは今コーチングされていると
  ころにあるか、と思われます。」

  要するに、なお頂上から裏側まで徹底しして探索しなければならない。去年の秋は及川氏から、もう長距離運転はできない、という便りがあった。

  従って、賢治が描いた山はたしかに銚子山なのか、という問題の解明は、現在のところまだ中途の段階である。今回は『日本地質図大系』に基づき、蛇紋岩が含まれる地帯を斜線で記しておいた。(この項、了)

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