2010年 2月 24日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉165 伊藤幸子 二・二六の日

 降りて消え降りてはあはく雪積もり二・二六のかの日ちかづく
樹口圭子
 
  昭和5年大阪生まれの作者にとって、昭和11年の二・二六事件はどのように受けとめられたものだろうか。もちろん、6歳の女児では周りが話したとしても理解できることではあるまい。ただ、この日、大人たちはどんな風にすごしていたかと、興味深いものを読んだ。

  「この日は一年前に創設されたばかりの芥川・直木賞の第二回選考会にあたっていた。直木賞選考委員の吉川英治の家は赤坂表町にあり、蔵相高橋是清の家と隣り合っていた。高橋はこの日早朝、暗殺されたのだが吉川は九時頃まで寝ていて何も知らなかった。訪ねてきた客も隣が『何か取混んでゐるらしいですな』と言うだけだった。この日は欠席者が多く、3月12日の会合でやっと吉野朝太平記(鷲尾雨工)が受賞と決まった。」阿部達二「歳時記くずし」より。

  雪の朝高橋是清、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監が殺害され、鈴木貫太郎侍従長は重傷、岡田啓介首相は妹婿松尾伝蔵大佐が身代りで殺されたため無事だった。事件は四日間で終息、19名が銃殺に処せられた。と、史実は伝える。

  毎年この時期になると、いろんなところで「二・二六」の記事を目にする。昨年は奥州市の斎藤実記念館で「最後の一日」を克明に追う企画展が紹介されていた。私も数年前に記念館を訪ねたが、70年もたっても血痕の染む衣類に歴史の残酷さが感じとれた。

  また昨年の「文藝春秋」4月号には巻頭随筆に「永田町小学校の二・二六」として、ジャーナリストの中田整一さんの一文が載っている。国会議事堂にも近く反乱軍に占拠された永田町尋常小学校の出来事。学校側の最大の心配事は、奉安庫に安置してある天皇の御真影と教育勅語をいかに守り通すかであった由。戒厳令がしかれた27日、現在の自民党本部の辺りの道路を隔てた文部大臣官邸と鉄道大臣官邸にいる反乱軍の動静が記される。

  もとより私には戦前の暗黒時代など想像もつかないが、ふしぎと春の大雪の中では歴史の歯車が軋み始めるような気がして、文学よりも奇なる人間の歩みに耳目をこらしたい。 

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