2010年 3月 7日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉35 丸山暁 別れはほほえみの中で

     
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  少し冷え込んだ朝、ブラックベリーの小枝で、幾つもの水玉が朝日に輝いていた。前夜降った雨のなごりだと思って近づいてみると、それは氷の粒だった。

  ここまで来れば時は既に春。ついこの間までは、寒いのはもうたくさんだと春を待ちわびていたのに、この小さくけなげに輝く氷の粒を見れば、去りゆく冬がいとおしくもある。

  人間にはちょっと不思議な粘り強さ、しぶとさがある。辛いことや苦しみの真っただ中でも、先に出口が見えてくると、辛いことにも耐えられる。そして、それが終わりに近づくと、その辛さをもう少しなら続けていたい、というような妙な気持ちになることがある。

  ちょっとわき道にそれるが、歯医者が嫌いな人は多い。その理由は、歯を削る音や感触(最近はほとんど痛くはないがたまにジンと痛むこともある)が嫌だという。僕も大口を開けてジージー削る痛痒(がゆ)さは、「もうやめてくれ」というのが本音だが、もうすぐ終わるという気配がしてくると「もう少し削っていてくれ」というおかしな欲求が湧いてくる。ひょっとすると、こういうのをマゾっ気というのだろうか。

  話があらぬ方向に行きそうなので、再び去り行くものへのいとおしさに話を戻そう。

  もうすぐ卒業や転勤など別れの季節がやってくる。会えばけんかしたり、あいつさえいなければと感じていたり、1年間口をきいたことのないやつでも、別れの瞬間は「みんな仲間だ、いつまでも友達だ、また会おう」なんて青春ドラマをつい演じてしまう。その後、ほとんどのやつとは十中八九会うことはないのだが、いい思い出だけが残ればいい。

  このことは、もっとも身近な社会、家族にもいえる。例えば、けんかをして、バカ亭主と思っていても「いってらっしゃい」とほほえめば、男は家族のために頑張ろうという気になるものだ。このクソ女房と思っていても「行ってくるよ」と手を振れば、晩酌につまみが一品増えるかもしれない。口も聞かないで別れると、一日なんだか気が晴れないものだ。

  この世で、人と人が出会い一緒にいれば、好きになったり嫌いになったり無視したり蹴飛ばしたくなったり、いろんな感情が生まれ揺れ動く。よほどのことでもない限り、人との別れ際には、涙の抱擁はうっとうしいが、軽く手を振り笑顔で別れたいものだ。

  特に家族や恋人、大事な人とけんかしたたまま離れてしまったら、次に会うまで気に掛かり、寂しくなるものだ。この世は不条理なもの、いったん離れてしまえば、あの世でしか再会できないことだって起こりうる。大きな別れでも小さな別れでも、別れはほほえみの中で。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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