2010年 3月 13日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉151 岡澤敏男 黒坂森〈巨きな巌〉の話

 ■黒坂森〈巨きな巌〉の話

  童話『狼森と笊森、盗森』はふしぎな魅力とナゾに包まれた作品です。賢治はこの童話にいろんな意図を隠しているらしく、多様な考察がなされています。ある日、小岩井農場から姥屋敷に出て黒坂森の古道に入ると、道の真ん中にあった〈巨きな巌〉が賢治とおんなじお話を私に聴かせてくれました。

  「ずうつと昔、岩手山が、何べんも噴火しました。そこいらはその灰ですつかり埋まりました。このまつ黒な巨きな巌の自分も、やつぱり山からはね飛ばされて、今のところに落ちてきたんだ」と語ったのです。

  それによると、〈巨きな巌〉の素姓は有史以前のはるかな昔に岩手山の噴火によってはね飛ばされてきた安山岩らしいのです。けれども岩手山は何べんも噴火していて、どの噴火の時だったのか自分でもさっぱり分からないと首をかしげているのです。

  岩手山の噴火史については平成12年3月、滝沢村教育委員会が発行した土井宣夫著「岩手山の地質ー火山灰が語る噴火史」に詳しく解説しており、このなかで岩手山の形成についての概要も次のように述べております。

  岩手山は東西13`に配列し、約70万年前以降に形成された火山群だという。岩手火山群は長い形成史をもつため複雑な火山地形を形成されており、代表的な山は西より小畚山、栗木ケ原、三ツ石山、大松倉山、犬倉山、姥倉山、黒倉山、鬼ケ城(尾根)、屏風尾根をなす赤倉岳、薬師岳、鞍掛山などがみられる。

  そして岩手火山群のうち、形成時期が新しく火山群の東側半分を占める火山体(姥倉山から東側の山体)を狭義の岩手山と呼び、さらにこれを東西に区分して西岩手(火)山、東岩手(火)山と呼んでいる。さらに岩手火山群の形成には、つぎの3期にわたる火山活動があったと要約しています。

  まず、岩手火山第1火山群(網張火山列)の活動は約70万年前に始まっており、三ツ石山、大松倉山、姥倉山等とともに鞍掛山もこのグループと考えている。次に岩手火山第2火山群(西岩手山)の活動は、約27万〜30万年前に始まって、その末期ころの噴火により西岩手カルデラが形成され、その内部に大地獄谷、御苗代(湖)・御釜(湖)と中央火山丘が形成されたといいます。また岩手火山第3火山群(東岩手山)の活動は約3万年〜3・5万年前に始まり、1万年前(旧石器時代末期)ころに薬師岳火山と呼ばれる活動があって薬師岳や馬蹄形のカルデラ(お鉢)が形成された。そして約6千年前(縄文時代草創期)から4回の活動があってカルデラ内部に薬師岳火口丘を成長させ、さらに薬師岳火口内に妙高岳と御室火口を生じさせたという。このような長期の火山活動の末に、現在見られる山体の岩手山が形成されたというのです。

  また縄文早期以降も薬師岳火口からマグマ噴火がなんども繰り返され、そのいずれかの噴火によってはね飛ばされてきたマグマの一部が、黒坂森のまっ黒い〈巨きな巌〉の素姓だったらしいのです。そして縄文早期ころから岩手山ろくの移り変わりをずっと見とどけてきた生き証人でもあるわけで、〈四人のけらを着た百姓〉たちが「山刀(なた)や三本鍬や唐鍬の、すべて山と野原の武器」を持ち燧堀山を越えてこの深い森の山ろくにやってきたことも知っていたというのです。

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