2010年 3月 15日 (月)

       

■ 滝沢村が八幡館山を史跡指定へ 大釜館出土の土器も

     
  山頂部に八幡館山遺跡のある八幡館山  
 
山頂部に八幡館山遺跡のある八幡館山
 
  滝沢村は村指定有形文化財に大釜館遺跡(大釜字外館)7号溝跡から出土した土器19点、村指定史跡に八幡館山遺跡(大釜字白山)を指定する。25日の村教育委員会議定例会で審議される。村指定有形文化財は同村初、村指定史跡も96年の湯舟沢環状列石(滝沢字湯舟沢)以来の指定となる。

  大釜館遺跡は現在の東林寺周辺にあった11世紀中葉の遺構。区画整理事業に伴う87年から95年まで9年間の調査で安倍氏時代の複数の遺構や遺物が見つかり、安倍氏関連の居館として注目されている。このうち、7号溝跡約10bの範囲内からは今回指定の内黒土師器高台椀1点、素焼きの椀17点、小皿1点が出土。列点状に並んで出土していることから、意図的に埋置されたものと考えられている。

  土器が製作された時代は平安時代末期で11世紀後半と推定される。県内でも鳥海柵跡(金ケ崎町)など安倍氏関連の一部の遺跡でのみ出土する土器群で、同村での安倍氏関連の出土遺物としても貴重な資料となる。村埋蔵文化財センターの井上雅孝主査は「安倍氏時代の遺跡から出た土器の類例は少なく、ほぼ完形で残っていて状態もいい」と話す。

  八幡館山遺跡は大釜館遺跡の西方1・5`に位置する八幡館山(標高246・8b)山頂部に立地する城館跡。山頂部は直径約40bの不整円形の平面で、その周囲には土塁と呼ばれる土で築いたとりでや空堀のような形状がある。急峻であまり広くない山の上に存在し、その立地と地形から居住や支配拠点としての機能よりも見張り台や防戦目的の要害としての役割があったものと考えられている。

     
  大釜館遺跡から出土の内黒土師器高台椀(左)、椀(右)、小皿(下)  
 
大釜館遺跡から出土の内黒土師器高台椀(左)、
椀(右)、小皿(下)
 
  81年の鉄塔工事の際に山頂部から大釜館遺跡で出土した土器と同じ11世紀後半の土器片が大量に発見された。このことから八幡館山遺跡はもともと戦国期の山城だが、安倍氏時代にも山城や柵として機能したことがうかがえる。同時代の山城は県内でも見つかっていないという。

  同遺跡をめぐっては地元の大釜地域まちづくり推進委員会が歴史を通じ地域に親しむ活動として05年から八幡館山整備活用事業に取り組んでいる。08年は遺跡の出土品の展示や説明会の開催、遺跡の解説を書いた看板の設置などを行った。今後、山頂に方位板などの設置も検討されている。

  柳村典秀村長は村議会3月定例会の会派代表質問で「大釜館遺跡、八幡館山遺跡は歴史に裏打ちされた壮大な物語がある人文系の重要な観光資源であると考えている。滝沢村内にある観光資源を様々なテーマで結びつけることにより、滝沢村のイメージとブランドの向上を図り、村外からの観光客誘致に取り組みたい」と話した。将来的なビジョンとして八幡館山遺跡の史跡整備、学術調査など周辺整備に取り組む考えだ。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします