2010年 3月 28日 (日)

       

■ 〈早池峰の12ヶ月〉38 丸山暁 蝶とカント

     
   
     
  春、わが家で最初に咲く花はシラーです。まだ霜の降りる固い土面を押しのけて、小さな薄紫の花を咲かせるかわいいやつです。でも、今日の主役はこの花ではない。二つの花のちょうど真ん中あたりの葉っぱに、黄色っぽい羽があるのがお分かりだろうか。

  先週、雪がちらつく日だったが、窓に擦り寄るように蝶が羽ばたいていた。外はまだ昼間でも2、3度のこの時期にまさかと思ったが、確かに蝶である。しかも蝶は、窓の外ではなく、家の中から外に向かって羽ばたいていた。

  さては昨年の初冬、家の中に入れた鉢のどれかに青虫がついていて、さなぎになって、それが家の暖かさで羽化したのだろう。まだ外では蝶を一匹も見ていないのだから。

  そのときは、いつの間にかその場からいなくなった蝶のことは忘れていたが、数日前、まきストーブの傍にひらひらと力なく舞い降りてきた。さて、季節外れの蝶の運命はいかに。蝶の運命は僕の手の内にある。

  そのままにしておけば、暖かいわが家で数日生き延びるだろうが、花の蜜も無く早晩命果てるだろう。春一番に咲いた外のシラーの花の上に置いてやれば、自然に帰り花の蜜を吸える可能性はあるだろうが、夜冷え込めば一夜にしてば死んでしまうだろう。蝶にとってはどっちが幸せなのだろうかと、僕は苦渋の選択を迫られた。

  僕は、蝶をシラーの花の上にそっと置いてやった。次の朝、蝶は動かなくなっていた。人間は人生において何回か、人によれば何十回も苦渋の選択を迫られる場合がある。

  例えば、引っ越しの際、姉妹のように暮らしてきた愛犬と愛猫2匹のうち、「どちらか一匹を捨てなければ新しい家に引っ越せない」と両親に選択を迫られた女の子のように。

  そういうどっちにしても悔いが残る、論理的には判断できない選択の規範を、カントは『実践理性批判』の中で「定言命法」と言っている。それは基本的には人間社会のことを言っているので、少女の犬猫を人間に置き換えれば、もっと切羽詰った真実味が出る。

  カントはそういう場合は、「なるべく多くの人が幸せになるような選択をすべきだが、そうでなくても本人の苦渋の選択であれば、どっちにころんでも良し」としている。

  さてさて、ちまたにはデートに遅れると「仕事とあたしとどっちが大事なの」と詰め寄る女性や、「俺と子どもとどっちが大事なんだ」というマザコン男もいるようだが、そういうおろかな質問は、軽々しく口にすべきではない。事が乗して大変なことになる場合もある。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)


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