2010年 3月 31日 (水)

       

■ 盛岡市の池田副市長きょう勇退 民間市長の右腕として活躍

     
  3月いっぱいで勇退する盛岡市副市長の池田克典氏  
 
3月いっぱいで勇退する盛岡市副市長の
池田克典氏
 
  盛岡市副市長の池田克典氏(60)は31日、勇退する。谷藤裕明市長の就任以来、市政運営の右腕として仕えた。2次にわたる行財政構造改革、合併とそれに続く中核市移行、産業政策や盛岡ブランド推進など八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍をした。ときには市長の防波堤を努め、議会や報道と衝突することもあった。漆芸美術館問題での対応など最後はやや精彩を欠いた印象も残したが、任期を残しての辞意。池田氏本人は「改革を進め、その土台を作る。今回が一つの区切り」と清々しさを漂わせる。

  03年9月、谷藤市長誕生と同時に県から派遣。38年ぶり誕生の民間市長の女房役は初年度で第1次行財政構造改革(04〜06年度)を策定し、中核市で義務化される包括外部監査の導入と、立て続けに改革路線を取った。

  「一方でさらなる飛躍を目指して合併から中核市移行の路線を一気になし得た。外貨の獲得という点で、産業政策を構築したいという市長の考えのもと、岩手大学との連携や総合的な戦略として盛岡ブランドも最初の時期に取り組んだ」。全市的な視野で市民意識の高揚を図った。

  「『土台』ということを改革を通じてやってきて、2期目もつぼみまでいった。これから開花し、結実する時期を迎えていく」と今後を分析する。

  市長が掲げる「市民起点」「市民本位」の市政運営には「職員が地域に入って説明をし、窓口の時間を延長し、利用者のことを考えて対応するようになっている。『市民のために』という意識は根付いてきている」と評価する。ただし「不正経理が続いてきた点とか、事務処理上の問題も散見される。地に足がついた改革の気風は、完全なものになっていない」とも語る。

  県都・盛岡市と県庁との連携には「県公会堂脇の歩道を整備した。県の用地提供と市の改修工事という連携の上でできた。わたしはあれが一番好き」と笑顔を浮かべる。今までの市と県とのしっくりこない「溝」の解消にも一役買った。

  しかし、09年度は首をかしげる場面も少なくなかった。盛岡城跡公園のヒマラヤ杉伐採や岩山漆芸美術館閉館問題などだ。池田氏は「わたしたちはそれなりの考えに基づいて、事業を進めている。その真意というか、いろいろ伝えきれない部分があった。それは反省点もある」と話す。

  議会や市民、マスコミからの市政批判に対して毅然として反論するのも池田氏ならでは。防波堤の役割も果たし「良きにつけ悪しきにつけ市長にとっての功労者」と、ある議員の発言が的を射ている。

  市政6年半を振り返り「最も意を用いてきたのは人を育てること。それぞれ職員が能力を発揮してほしかった」。人事システムの再構築で職員のモチベーションを向上させることができたと自負する。

  後藤新平には「金を残して死ぬ者は下。仕事を残して死ぬ者は中。人を残して死ぬ者は上」の遺訓がある。

  「わたしも人を残して去れれば最上。わたし自身30年の県庁生活で諸先輩からいいところを盗んできたから、この職にあると思う。わたしの断片でもいいから何かいいところがあったとするなら、それを自分のものにしてもらえれば一番」。

  そして「将来の盛岡市民のために仕事をするのだという意欲を持って取り組んでもらいたいし、その結果、もっと住みよい盛岡をつくってほしい」と職員へエールを送る。

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