2010年 3月 31日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉170 伊藤幸子 「春がきた」

 誰か一人こらへられずに 林道を誰れか馳せ行く春 が来たのだ  前田夕暮
 
  春がきた!体中にみなぎる春の喜びを高らかに歌いあげて好きな歌。短歌史における口語短歌の幕明けは、大正末から昭和初期にかけて怒濤のように押し寄せた。木俣修著「大正短歌史」によれば、大正13年4月創刊の短歌誌「日光」には、北原白秋、木下利玄、土岐哀果、石原純、川田順、前田夕暮、古泉千樫、釈迢空といった錚々(そうそう)たる歌人が新しい歌を寄せており、口語自由律の短歌運動が提唱された。関東大震災後の、さながら野焼きのあとに新草の生うるがに、新時代の到来を告げるエネルギーに満ちている。

  この歌は明治16年生まれの作者が大正12年、「日光」創刊直前に奥秩父で山林経営に携わっていたころに詠んだものといわれる。長い冬が終わって、植林や伐採の仕事をする人々の身も心も軽く明るい表情が生き生きと伝わってくる。壮年期の作者、万葉調の「春は来にけり」ではなく「春が来たのだ」と叫ぶ心情が晴れやかだ。今、読んでも新鮮で楽しい。

  同「夕日よ、夕日よ、夕日よと心狂ほしく渦巻きて行く空焼くるかた」大正2年4月、前田夕暮が西洋美術展で、初めてゴッホ、ゴーガンの絵に接した時の歌という。今から百年近くも前に、日本の才人たちが西洋の文化にふれ、カルチャーショックに襲われたさまを思う。

  「夜、眠らうとする私の旅愁のなか|奥入瀬が青くながれはじめる」昭和5年、十和田湖畔に宿泊した折の昨。自由律口語運動の中で、表記にも新しい試みがみられる。今はあまり作中に句読点を入れたり、一字あけなども必然性がない限り用いないが、旅愁の余情に、当時の文人たちの工夫がうかがえる。

  ところで「日光でおもしろいものを見た」という会話から犯人を追うおもしろい本がある。内田康夫氏の浅見光彦シリーズで「日光」を地名と短歌誌から解きゆく過程が、旅情と歴史と文芸の相乗効果で読む度に発見がある。

  「左様なら幼子よわが妻よ生き足りし者の最後の言葉」昭和26年、枕辺のノートに記された最後のことば。いつの世も、新しい風を求める詩人の目がある。だからこそ、時をこえて感動の声が伝わってゆく。
(歌人)


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