2010年 8月 1日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉8 望月善次 「人に捧ぐ」

君(きみ)が瞳(め)ひとたび胸(むね)なる秘鏡(ひめかゞみ)の
ねむれる曇(くも)りを射(ゐ)しより、醒(さ)め出(い)でたる、
瑠璃羽(るりば)や、我(わ)が魂(たま)、日(ひ)を夜(よ)を羽(は)搏(う)ちやまで、
雲渦(くもうづ)ながるる天路(てんろ)の光(ひかり)をこそ
導(ひ)きたる幻(まぼろし)眩(まばゆ)き愛(あい)の宮居(みやゐ)。
あこがれ浄(きよ)きを花靄(はなもや)匂(にほ)ふと見(み)て、
二人(ふたり)し抱(いだ)けば、地(ち)の事(こと)破壊(はゑ)のあとも
追(お)ひ来(こ)し理想(りそう)の影(かげ)ぞとほゝゑまるる。
 
こし方(かた)、運命(さだめ)の氷雨(ひさめ)を凌(しの)ぎかねて、
詩歌(しいか)の小笠(をがさ)に紅(あけ)の緒(を)むすびあへず、
愁(うれ)ひの谷(たに)をしたどりて足悩(あなゆ)みつれ、
峻(こゞ)しき生命(いのち)の坂路(さかぢ)も、君(きみ)が愛(あい)の
炬火(たいまつ)心(こころ)にたよれば、黯(くら)き空(そら)に
雲間(くもま)も星(ほし)行(ゆ)く如(ごと)くぞ安(やす)らかなる。
                   (癸卯十一月十八日)
 
  〔現代語訳〕
あなたの瞳がひとたび胸に秘めた鏡の
眠っていた曇りを射るや、醒め出した、
瑠璃羽よ、私の魂は、昼も夜も羽を打ちやむことなく、
雲の渦が流れる天路の光を
導いた幻が眩い愛の宮居。
あこがれの清らかさに花靄の匂いを感じて、
二人で抱き合えば、大地における一大事の跡も
追ってきた理想の影であると微笑むことができる。
 
過去、運命の氷雨を凌ぎかねて、
詩歌の小笠に紅い紐を結ぶことが出来ず、
愁いの谷を辿って悩み、
険しい生命の坂道も、君の愛の
松明の心にたよれば、暗い空の
雲間に星が流れるように安らかである。
  〔明治三十六(一九〇三)年十一月上旬〕

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