2010年 8月 4日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉188 伊藤幸子 「戦争は悪だ」

 中国に兵なりし日の五ケ年をしみじみと思ふ戦争は悪だ
                                    宮柊二
 
  毎年8月になると、「戦争の記憶」が語られる。文芸、映像、音楽、旅、食、愛恋、環境等すべての面で、いやおうなく対峙しなければならなかった時代の苛酷さを思うとき、からくも迎えた終戦の半年後の生まれ日をありがたいと思う。常に砲弾にさらされ、空襲に怯える暮らしが私の生まれる数ケ月前まであったことを、先立った多くの人々に聞いてみたい。

  「たたかひの最中(さなか)静もる時ありて庭鳥啼けりおそろしく寂し」「弾丸(たま)がわれに集りありと知りしときひれ伏してかくる近視眼鏡を」「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば聲(こゑ)も立てなくくづをれて伏す」「亡骸(なきがら)に火がまはらずて噎(む)せたりと互(かたみ)に語るおもひ出(い)でてあはれ」昭和27年刊「山西省」より。

  宮柊二という名を知り、すさまじい戦争詠を目にしたときの衝撃は忘れられない。戦場に於ける正義とは、国を守るとはこういうことなのだと心身の奥底から噴き出す傷みと悲しみにひしがれた。

  大正元年新潟生まれの宮柊二は昭和14年、27歳にて召集され、まる4年中国山西省の戦場に戦った。18年、会津若松にて召集解除。19年、滝口英子と結婚。さらに20年6月再度召集、茨城へ移駐。8月、軍解除帰還。

  掲出歌は昭和59年1月3日、朝日新聞に発表された作品。これは柊二最晩年の61年5月に刊行された歌集「純黄」に収載されている。53年に第九歌集「忘瓦亭の歌」を出版後すでに9年もたっていた。この間種々の病魔に襲われ、温泉療法や鍼灸治療にも通われるが「予断を許さぬ覚悟」を強いられて「柊二が健在ならば、もっと特徴のある編集構成になったかもしれない」と、英子夫人の「あとがき」が身に迫る。

  昭和52年には65歳で、第33回芸術院賞を受賞され「おほけなし人に潜(かく)れて詠みきたる旧兵隊に賞をたまはる」と詠まれた。昭和61年12月11日逝去、74歳。千日谷会堂でのご葬儀は風の強い日だった。戦後41年、40歳の私は会場にあふれる老境の人波にもまれがら、生涯の師をお送りした。「晝間(ひるま)みし合歓(かうか)のあかき花のいろをあこがれの如くよる憶(おも)ひをり」大好きなネムの花が今を盛りと咲いている。

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