2010年 8月 8日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉57 丸山暁 もう一つの太陽

     
   
     
  朝露に濡(ぬ)れ花開いている月見草を見る時間帯は、まだ谷間の朝は涼しいが、月見草がしぼむころにはうだるような暑さがやってくる。北国の夏がこんなにも暑いとは、今年は太陽黒点が減少しているというのに。

  65年前、瀬戸内の静かなまちに、もう一つの太陽が出現した日も暑かったと言う。

  あの時、広島基町(広島平和公園の北側のまち)辺りで、朝からぎらぎら輝き始めた太陽を見上げた人は、そこにもう一つの太陽を見た。

  もう一つの太陽は地上570bで青白い閃光と共に炸(さく)裂し、中心温度30万度の火の玉になった。その火の玉、すなわちもう一つの太陽を見上げたほとんどの人は、その太陽が記憶に残る間もなく、この世から消え去った。

  何故もう一つの太陽が出現したのか誰にも分からないままに、この世に地獄が出現し、2日間街を焼き尽くし、黒い雨を降らせ、30万広島市民の半数近く13万人の命を奪い、多くの人々の心と体に今も癒えぬ深い傷を刻みこんだ。3日後に長崎でも同じ地獄が。

  やはりこの時期は、日本人であるなら、特に多少なりとも広島・長崎にかかわった者は、原爆のことを考え、語らねばならない。それは義務でもあり未来への希望でもある。

  広島の山暮らしの少年時代、家族でできたばかりの原爆資料館に行った。その衝撃はすさまじく広島市内移住後も、恐怖心から2度と立ち入りたくない場所だった。社会人となり広島出張で再び資料館を訪ねた時、その場で反核は僕の思想となった。

  少々お馬鹿な話だが、初めて平和公園を訪れた時、「原爆の子の像」(白血病で死んだ佐々木貞子さんをしのび平和を祈願する像)の前で「象(エレファント)はどこだ、原爆の子象はどこにいる」と家族をいぶからせた。

  宮島で生きた「原爆の馬」を見た後、平和公園に行ったので、僕はおろかにも「像」が動物の「象」だと思い込んでいたのである。ついでに、暴露すれば、街中になぜ「最中(さいちゅう)」があふれ、何をやっている最中なのか、愚かにも随分大きくなるまで「最中(もなか)」は謎だった。

  オバマ大統領のプラハ宣言はあったが、現実の世界を見れば核廃絶は幻想に近い。

  もしも核廃絶への道が開けるとすれば、愚かな政治家・軍人・有識者たちの核抑止力という幻想ゲームに、思い込みでも夢でもいい、核廃絶を人類の思想とする世界市民の声が勝る時だろう。8月6日広島、9日長崎は人類の核廃絶への希望の日であらねばならない。
  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)


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