2010年 8月 8日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉10 望月善次 海の怒り

 日没と共に訪れる闇は海の怒りで、眠っている人々の額に罪の印を刻もうとしているのです。
 
一日(ひとひ)のつかれを眠(ねむ)りに葬(ほふ)らむとて、
日(ひ)の神(かみ)天(あめ)より降(お)り立(た)つ海中(うなか)の玉座(みざ)、
照(て)り映(は)ふ黄金(こがね)の早(はや)くも沈(しず)み行(ゆ)けば、
さてこそ落(お)ち来(こ)し黒影(くろかげ)、海(うみ)を山(やま)を
領(りやう)ずる沈黙(しゞま)に、こはまた、恐怖(おそれ)吹(ふ)きて、
真暗(まやみ)にさめたる海神(わだつみ)いかる如(ごと)く、
巌(いわ)鳴(な)り砕(くだ)けて、地(ち)を噛(か)む叫号(さけび)の声(こえ)、
矢潮(やじほ)をかまけて、狂瀾(きやうらん)陸(くが)を呪(のろ)ふ。
 
寄(よ)するは夜(よ)の胞(とも)盾(たて)どる秘密(ひみつ)の敵(てき)。│
堕落(おち)てはこの世(よ)に、暗(やみ)なき遠(とお)き昔(かみ)の
信(まこと)のおとづれ●(さゝ、口篇に耳)くやく波(なみ)もあらで、
ああ人(ひと)、眠(なむ)れる汝等(なれら)の額(ぬか)に、罪(つみ)の
記徴(しるし)を刻(きざ)むと、かくこそ潮(しお)狂(くる)ふに、
月(つき)なき荒磯辺(ありそべ)、身(み)ひとり怖(おそ)れ惑(まど)ふ。
                 (癸卯十二月一日)
 
  〔現代語訳〕
一日の疲れを、眠りの中に埋葬しようとして
「日の神」が天より降り立ったこの海中の玉座よ、
照り輝いていた黄金の(太陽)が、早くも沈んで行きましたので、
落ちて来た黒い影は、海も山も
沈黙で支配するのですが、これはまた、恐怖が吹いて、
真の闇に目覚めた海の神が怒るように、
巌は鳴り、砕け、地面を痛めつける叫号の声は、
矢のような潮に心を奪われて、狂瀾は、陸を呪っているのです。
 
押し寄せてくるのは、夜の友人で、盾を手にしている秘密の敵なのです。│
悪道に堕ちた、この世においては、闇のなかった遠い昔の
信実の訪れを囁く波もないのです、
ああ人よ、眠っているお前達の額に、罪の
記徴を刻もうとして、このように潮が荒れ狂っていることに、
月もない荒磯で、私は一人恐れ惑っているのです。
                 (明治三十六年十二月一日)

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