2010年 8月 15日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉58 丸山暁 AKB48の憂鬱

     
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  写真中央の物体がお分かりだろうか、メガネ石(ストーブの煙突を通す建材)の枠に張り付いて1カ月ぐらい経ったアマガエルである。まだ少しアマガエル固有の緑色の痕跡(こんせき)を残しているものの、もう少しで壁と見分けが付かなくなるだろう。

  ある種の生き物は、弱肉強食の生物界を生き抜くため、体の色や形を周囲と同化させ目立たなくするものたちがある(これは身を守るため、獲物を捕るための両面ある)。

  このような習性、知恵は、生き物の世界特有の現象ではなく、人間社会においても同じような現象が起きているのではないか。日本社会の「出る釘は打たれる」「赤信号みんなで渡れば怖くない」に代表される行動形態はその典型であろう。

  また、ちょっと目にはそれと対極にありそうだが、個性的、自由に見える現代日本人の背後にもそれと同質の周囲にあわせる、溶け込むという行動規範が深く刷り込まれているように思える。

  現在日本を代表する?海外進出も狙っているエンターテイメント集団AKB48(アキバ系美少女集団)を事例に考えてみたい。

  彼女たちは本来、一人一人は目立とうとしているが、彼女たちは一定の枠組み・様式(女学生キャラ)に収められ、数人並べば誰が誰だか分からなくなる。そして、その同質のものたちを競わせ序列をつけ、AKB48全体としての注目度、価値をあげていく。

  こういう仕掛けがAKB48の魅力だというが、当人たちは常に選別され足をつながれ48人49脚競走(実際何人かは知らないが)を強いられているようなものである。

  本来は個性を発揮すべき就職活動だが、みんな黒ずくめ、訓練された受け答え、ここにもAKB48と
同様、周囲からはみ出さないように気を使う競争社会の姿を見る。

  どんなはにかみ屋さん、目立つのが嫌だと言っても、1人の人間としてありのままに愛されたい、他者に認められたいというのが人間の性(さが)、胸の内ではないだろうか。

  今この国は、子供も大人も弱者も一人ひとりありのままに生きられる社会だろうか。それともアマガエルのように周囲と同化して生きるのが生きやすい社会なのだろうか。どっちを選ぶかはそれこそ個人の自由だが、異質なものを尊重し、面白がる社会でありたい。

  空気のように生きざるを得ない存在のゆがんだ自己主張が、14歳の酒鬼薔薇聖斗や秋葉原連続殺傷事件を生むのではないだろうか。この空気の息苦しさはなんだろう。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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