2010年 8月 15日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉11 望月善次 荒磯(ありそ)

 「ささがに」の解釈にもよるが、『一握の砂』冒頭歌、「東海」歌の発想の原点の一つは、ここにあるのではないかと思わせるような作品。
 
行(ゆ)きかへり砂(すな)這(は)ふ波(なみ)の
ほの白(じろ)きけはひ追(お)ひつゝ、
日(ひ)は落(お)ちて、暗(やみ)湧(わ)き寄(よ)する
あら磯(いそ)の枯藻(かれは)を踏(ふ)めば、
(あめつちの愁(うれ)ひか、あらぬ、)
雲(くも)の裾(すそ)ながうなびきて、
老松(おいまつ)の古葉(ふるば)音(ね)もなく、
仰(あふ)ぎ見(み)る幹(みき)からびたり。
海原(うなばら)を鶻(みさご)かすめて
その羽音(はおと)波(なみ)に砕(くだ)けぬ。
うちまろび、大地(おほぢ)に呼(よ)べば、
小石(こいし)なし、涙(なみだ)は凝(こ)りぬ。
大水(おほみづ)に足(あし)を浸(ひた)して、
黝(くろ)ずめる空(そら)を望(のぞ)みて、
ささがにの小(ち)さき瞳(ひとみ)と
魂(たま)更(さら)に胸(むね)にすくむよ。
秋路(あきぢ)行(ゆ)く雲(くも)の疾影(とかげ)の
日(ひ)を掩(おほ)ひて地(ち)を射(ゐ)る如(ごと)く、
ああ運命(さだめ)、下(を)りて鋭斧(とをの)と
胸(むね)の門(かど)割(わ)りし身(み)なれば、
月(つき)負(お)ふに痩(や)せたるむくろ、
姿(すがた)こそ浜芦(はまあし)に似(に)て、
うちそよぐ愁(うれ)ひを砂(すな)の
冷(つめ)たきに印(しる)し行(ゆ)くかな。
       (癸卯十二月三日夜)
 
  荒 磯 〔現代語訳〕
 
行ったり帰ったりする、砂にピッタリ這う波の
ぼんやりと白い様子を追いながら、
(夕日が落ちて、闇も湧くように寄せて来る)
岩の多い荒波の寄せる磯の枯れた藻を踏んで行きますと
(この天地の愁いかどうか分かりませんが)
雲の裾も長く靡いて
老松の古い葉(に渡る風)の音も無く
仰いで見る(その老松の)幹も乾いているのです。
(その)海原をミサゴ(ウミタカ)が触れるか触れないかのように飛んで
その羽の音は波に砕けたのです。
(私は)そこに伏して、大地に向って叫んだのですが、
(その声は空しく)小石のようになって、涙は固まってしまいました。
(海原の)大量の水に足を浸して、
(夕闇のため)黒くなった空を遥かに見ると
小さな蟹の瞳のように
魂は一層、胸にちぢこまる気がするのです。
秋の路を流れる雲の速い影が
太陽を覆って地面を鋭く狙うように
ああ、運命が下りて来て、鋭い斧だと
胸の門を割いてしまった、この私ですので、
月の光を背にした痩せた骸である
姿は浜の芦にも似て
戦ぐ愁いを砂の
冷たいところに印して行くのです。
  〔明治36年12月3日〕

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