2010年 8月 22日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉59 丸山暁 人は見かけによらぬもの

     
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  今年はジャガイモの出来が特にいい。自分で作っている方々は皆さんそういうだろうが、わが家のジャガイモはホクホクしてきめが細かく実に品のいい味がする。

  春、小振りの種イモを半分に切ったものを1個植えておくと、約4カ月でこれだけ収穫できる。その間ちょっと草取りをするぐらい、大地とお天道様に感謝である。

  ジャガイモといえば今から30数年前、北海道を一人旅した時(出張に土日をつけた旅だった)、函館だったか、小さな小屋の今で言う産直で、旅の途中のこと何も買わなかったが、オバサンがジャガイモを焼いて塩辛を乗っけて食べさせてくれた。

  ジャガイモは肉ジャガかマッシュポテトかゆでるか焼いてバターをのせて食べる程度だったが、所変われば新たな食文化の発見あり、その味は今も忘れられずたまにやる。

  ちょっとジャガイモの話は置いといて、その旅でのほろ苦い経験を披露しよう。

  そのころ東京で暮らしていて、荷物から離れてどこかに行く(例えば、手荷物をいすにおいてトイレに行く)というのは、どうぞ荷物をかっぱらってくださいと言っているようなもので、多くの人はやらなくなった。中にはほったらかされたバッグもあるが。

  その時点でも一昔前なら、隣の知らない人にでも「ちょっとトイレに行きたいのですが荷物お願いできますか」「よござんす」という光景も見受けられた。中には「子供をよろしく」とトンずらした事件もあったようだが、時既にそんな時代ではなかった。

  青函連絡船の待合室で、大きなリュックを背負ってトイレのブースに入るわけにもいかず、薄暗い待合室を見回せば、決して豊かな暮らしを思わせる人々ではない。その場に荷物を置いてトイレに行って大丈夫かと疑えば、周りの人間すべて怪しく見えてくる。

  しかし自然の摂理、とうとう我慢できずリュックを置いて用を足し足早に戻ってくると、待合室は何も変わらず、リュックはそのままあった。よその土地にやってきて、身なりで人を疑ってしまったおのれの小ささに恥かしさがこみ上げてきたのを覚えている。

  人は見かけで判断してはならないというが、ごもっとも。経済界のトップランナー、社会派ブログの人気者、日本振興銀行頭取の木村剛が巨額のお金をごまかし逮捕され、村上ファンドの村上世彰、ライブドアのホリエモンなど時代の寵児たちも捕まっている。

  最近捕まったハマコーは見るからに悪人面だが、時代の先端を行きかっこよく見えた男たちこそ犯罪者だった。隣の芝生を斜に見て「清く貧しく美しく」を良しとするか。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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