2010年 8月 22日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳「あこがれ」石川啄木〉12 望月善次 夕の歌(ゆうべのうた)

 一見のどかに見える夕凪(なぎ)の後の海、それは、実は、汚れに満ちた夜の闇であり、あの上辺と内実の隔たりの例としてキリストが言われた「白い墓」にも似たものなのです。
 
汝(な)が胸(むね)ふかくもこもれる秘密(ひみつ)ありて、
常劫(じやうごふ)夜(よ)をなす底(そこ)なる泥岩影(ひぢいはかげ)、
黒蛇(くろへみ)ねむれる鱗(うろこ)の薄青(ほのあを)透(す)き、
無限(むげん)の寂寞(じやくまく)墓原(はかはら)領(りやう)ずと云(い)ふ。
さはこの夕和(ゆふなぎ)、何(なに)の意(い)、ああ海原(うなばら)。
遠波(とほなみ)ましら帆(ほ)入日(いりひ)の光(ひかり)うけて
華(はな)やかにもまたしづまる平和(やはらぎ)、げに
百合花(ゆりはな)添(そ)へ眠(ぬ)る少女(をとめ)の夢(ゆめ)に似(に)るよ。
 
白塗(しらぬり)かざれる墓(はか)には汚穢(けがれ)充(み)つと
神(かみ)の子(こ)叫(さけ)びし。外装(よそひ)ぞはかないかな
花夢(はなゆめ)きえては女(め)の胸(むね)罪(つみ)の宿(やど)り、
夕和(ゆふなぎ)落(お)ちては、見(み)よ、海(うみ)黒波(くろなみ)わく。
酔(よ)はむや、再(ふたた)び。平和(やはらぎ)、│妖(えう)の酒(さけ)に
咲(さ)き浮(う)く泡(あわ)なる。沈黙(しヾま)の白墓(しらはか)なる。
                (癸卯十二月五日夜)
 
  夕の海 〔現代語訳〕
 
(海よ)お前の胸深く秘めている秘密があって、
(そこには)この世が始まってからの長い時間、
いつも夜であるような暗い海底の泥のような岩影があり、
眠っている黒い蛇の鱗も、薄い青色に透き通り、
限りない寂しさが墓原のように占めていると言われています。
(こうした海の)この夕凪には、どうした意味があるのでしょうか。ああ海原よ。
遠い波(を背景に)、真っ白の帆は入日の光を受けて
華やかに且つ静かな平和の様子を示していて、(一見)本当に
百合花を添えて眠る少女の夢にも似ているのです。
 
(しかし)白く塗られ、外面を飾っている墓には汚穢が充ちていると
神の子(キリスト)は叫びました。
(その言葉にも似て)外側の装いというものはなんと、はかないものでしょう。
花のような夢は消えて、女の胸には、罪が宿り、
夕凪が止んで、御覧なさい、海には黒波が湧いております。
酔うことができましょうか、再び。この「平和」(らしき光景)に、│妖しき酒に
(実は、この見えている光景は)咲いて浮いている泡のようなものです。
沈黙の「白い墓」なのです。
               (明治三十六年十二月五日夜)

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