2010年 8月 26日 (木)

       

■ 〈音読・現代語訳「あこがれ」石川啄木〉13 望月善次 森の追懐(もりのおもひで)

  師走も押し迫ったこたつでこの一年を懐旧する啄木。この春、啄木は東京における放浪により、健康を害して帰郷したのである。しばらく体力を回復した夏のころ、つえを突き、何度となく母校の裏のこの森に遊んだのである。
 
落(お)ち行(ゆ)く夏(なつ)の日(ひ)緑(みどり)の葉(は)かげ洩(も)れて
森路(もりぢ)に布(し)きたる村濃(むらご)の染分衣(そめわけぎぬ)、
涼風(すヾかぜ)わたれば夢(ゆめ)ともゆらぐ波(なみ)を
胸(むね)這(は)ふおもひの影(かげ)かと眺(なげ)め入(い)りて、
静夜(しづかよ)光明(ひかり)を恋(こ)ふ子(こ)が清歓(よろこび)をぞ、
身(み)は今(いま)、木下(こした)の百合花(ゆりばな)あまき息(いき)に
酔(ゑ)ひつつ、古事(ふるごと)絵巻(ゑまき)に慰(なぐさ)みたる
一日(ひとひ)のやはらぎ深(ふか)きに思(おも)ひ知(し)るよ。
 
遠音(とほね)の柴笛(しばぶえ)ひびきは低(ひく)かるとも
鋤(すき)負(お)ふまめ人(ひと)又(また)なき快楽(けらく)と云(い)ふ。
似(に)たりな、追懐(おもひで)、小(ちい)さき姿(すがた)ながら、
沈(しず)める心(こころ)に白羽(しらは)の光(ひかり)うかべ、
葉(は)隠(かく)れひそみてささなく杜鵑(ホトトギス)の
春花(はるばな)羅綾(うすもの)褪(あ)せたる袖(そで)を巻(ま)ける
胸毛(むなげ)のぬくみをあこがれ歌(うた)ふ如(ごと)く、
よろこび幽(かす)かに無間(むげん)の調(しら)べ誘(さそ)ふ。
 
野梅(やばい)の葩(はなびら)溶(と)きたる清(きよ)き彩(あや)の
罪(つみ)なき望(のぞ)みに雀躍(こおど)り、木(こ)の間(ま)縫(ぬ)ひて
摘(つ)む花(はな)多(おお)きを各自(かたみ)に誇(ほこ)りあひし
昔(むかし)を思(おも)へば、十年(とゝせ)の今(いま)新(あら)たに
失敗(やぶれ)の跡(あと)なく、痛恨(いたみ)の深創(ふかきず)なく、
黒金(くろがね)諸輪(もろわ)の運命路(さだめぢ)遠(とお)くはなれ、
乳(ち)よりも甘(あま)かる幻(まぼろし)透(す)き浮(う)き来(き)て、
この森(もり)緑(みどり)の揺籃(ゆりご)に甦(よみが)へりぬ。
 
胸(むね)なる小甕(をがめ)は『いのち』を盛(も)るにたえで、
つめたき悲哀(ひあい)の塚辺(ついべ)に欠(か)くるとても、
底(そこ)なる滴(しづく)に尊(とう)とき香(かお)り残(のこ)す
不滅(ふめつ)の追懐(おもひで)まばゆく輝(かが)やきなば、
何(なに)の日(ひ)霊魂(たましひ)終焉(をはり)の朽(くち)あらむや。
啼(な)け杜鵑(ホトトギス)よ、この世(よ)に春(はる)と霊(れい)の
きえざる心(こころ)を君(きみ)我(わ)れ歌(うた)ひ行(ゆ)かば、
歎(なげ)きにかへりて人(ひと)をぞ浄(きよ)めうべし。
 
  (癸卯(みずのとう)十二月十四日稿(こう)。森(もり)は郷校(きょうこう)のうしろ。この年(とし)の春(はる)まだ浅(あさ)き頃(ころ)、漂浪(ひょうろう)の子(こ)病(やまい)を負(お)ふて故山(こざん)にかへり、薬餌(やくじ)漸(ようや)く怠(おこ)たれる夏(なつ)の日(ひ)、ひとり幾度(いくたび)か杖(つえ)を曳(ひ)きてその森(もり)にさまよひ、往時(おうじ)の追懐(おもいで)に寂蓼(じゃくりょう)の胸(むね)を慰(なぐ)めけむ。極月(ごくげつ)炬燵(こたつ)の楽寝(らくね)、思(おも)ひ起(おこ)しては惆悵(ちょうちょう)に堪(た)へず、乃(すなわ)ちこの歌(うた)あり。)
 
  森の追懐(もりのおもひで)〔現代語訳〕
 
落ちて行く夏の日は、緑の葉陰を洩れて
森の路に布いた、濃淡のあるまだらに染め分けられた衣に、
涼しい風が吹き渡ると、夢のように揺らぐ波を
胸を這う思いの影だろうかと、じっと眺めて、
静かな夜の光明を恋い慕う人の清い歓びを(知るのです。)、
(この身は今、木下の百合の花の甘い息に
酔いながら、昔の絵巻を慰んでいるのですが)
一日の柔らかい深い思いを知るのです。
 
遠い音の柴笛の響きは低いのですが
鋤をかついでいる勤勉な人の、喩えようもない快楽なのです。
ああ、似ているのですね、追懐は、小さな姿なのですが、
沈んだ心に、白羽の光を浮かべ、
葉に隠れて、秘かに鳴くホトトギスは
春の花の薄物の色褪せた袖を巻き
その胸毛の温かさをもって、憧れを歌うように、
喜びも幽かに、絶えることのない調べを誘うのです。
 
野中に自生した梅の花びらが溶けた清い彩りが
罪のない希望に小躍りし、木の間を縫って
摘む花も多いことを各自が誇り合った
その昔を思うと、十年の時間も今新しくなり
失敗の跡もなく、痛恨の深い創もなく、
黒い金属製の二つの輪のような(重い)運命の路からも遠く離れ、
乳よりも甘い幻が、透くように浮いて来て、
この森の「緑の揺籃(ゆりかご)」に甦ったのです。
 
(私の)胸の小さい甕は、『いのち』を盛ることに耐えられなく、
悲哀の墓の辺りに壊れるとしても、
底の滴に、尊い香を残すのです
決して滅ぶことのない、追懐が、眩く輝やくのでしたら、
いずれの日にか、霊魂が、終りの消滅となることがあるでしょうか。
啼け、杜鵑(ホトトギス)よ、この世に春と霊との
消えることのない心を、お前と私とが歌って行けば、
歎きは、却って、人を浄めることができるに違いありません。
 
  (明治三十六年十二月十四日稿。森は故郷の母校の後ろの森のことです。この年の春が、まだ浅い頃、漂浪の子(である私は)病を得て、故郷に帰りました。薬もやっとそれほど飲まなくてよくなった夏の日、一人、幾度か、杖を曳いて、その森に彷徨い、過ぎ去った時の追懐に、寂蓼に満ちた胸を慰めたものでした。今は師走、炬燵で安らかに寝ておりますが、(当時を)思い起しては、傷み恨む思いがして仕方がないのです。こうした事情でこの作品を作ったのです)


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