2010年 8月 29日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉60 丸山暁 つながる分子でみな兄弟

     
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  まだあでやかに花開く大輪の葵(あおい)の花だが、風で折れてしまったので、堆肥(たいひ)の上にある。今は活き活きとした花や葉も、あすにはしおれ、いずれ堆肥に紛れ込み、来年は立派な堆肥になる。

  この葵からどの程度の堆肥が出来るかは分からないが、毎年積んだ草の4分の1程度の量の堆肥ができるので、この葵とて数グラムの堆肥になるのではないかと考える。

  分解され堆肥となった葵の分子(炭素や窒素)は、来年か再来年かは分からないがわが家の野菜に宿る。その野菜を食べて葵の分子は僕の体に宿る。

  ちょっと面倒くさい話になるが、この世にあるすべての分子(炭素や窒素や酸素など)はすべて(人工的な放射性物質以外)宇宙の創世記に作られ、45億年前にそれらが合体して地球を形作った。

  実は、僕ら生き物の体を作っている分子(炭素や窒素など)は、もともと地球の岩石や大気中にあったものと同じもの、その分子が結合し有機物となり生物が生まれ、進化の果てに人間ができた。

  要するにこの世に存在する分子は、石や空気など無生物と草や花や生き物、ひいては人間の体内を行ったりきたりしているのである。

  驚くべきことに、人間が食べた食物の分子は数日で人間の細胞の一部になっているという。そしてその細胞も数日で破壊されそれを構成していた分子は体外に排出される。

  その一部はわが家のどこかに残っているかもしれないが、多くは浄化場で処理され、稗貫川を下り北上川に流れ込み、太平洋にいたる。

  すなわち、僕に宿った分子は再びこの世のどこかで、空気か土か生命か何かに宿る。まさにこれこそ輪廻の本質、生き物だけではなく森羅万象(しんらばんしょう)皆兄弟ということである。

  少々視点を変えて、人間はいずれ土に帰るということを端的に表した絵がある。ちょっとグロテスクで良い子には刺激的だが、「小野小町の九相図」である。

  平安朝の絶世の美女男泣かせの小野小町も、死んでしまえば横たわり、硬直し犬に食われ腐乱して、最後は骨もバラバラになって土にかえる姿を、九枚の絵にした仏教画である。

  本来は無情なる死生観を表した絵だろうが、見方によると、どんな美人でも一皮剥(む)けば骸骨(がいこつ)で、土に帰れば皆同じ。この世でも皆仲良く生きましょう、とも読み取れる。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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