2010年 8月 29日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉14 望月善次 おもひ出

 白村が『明星』(明治37年1月)に発表した「詩人ポーとその名歌」からの影響がある〔今井泰子『日本近代文学大系 第23巻(角川書店、1969)』p542〕というギリシャ神話のサイケ(プシュケー)にかかわる作品。啄木は、どのように処理して、自身の「おもひ出」としたのであろうか。
 
翼酢色(はねずいろ)水面(みのも)に褪(あ)する
夕雲(ゆうぐも)と沈(しず)みもはてし
よろこびぞ、春(はる)の青海(あおうみ)、
真白帆(ましらほ)に大日(おほひ)射(さ)す如(ごと)、
あざやかに、つばら〓〓に、
涙(なみだ)なすおもひにつれて
うかびくる胸(むね)のぞめきや。
 
ひとたびは、夏(なつ)の林(はやし)に
吹鳴(ふきな)らす小角(くだ)の響(ひび)きの
うすどよむけはひ装(よそ)ひて、
みかりくら狩服人(かりぎぬびと)の
駒(こま)並(な)めて襲(おそ)ひくる如(ごと)、
恋鳥(こひどり)の鳥笛(とぶえ)たのしく
よろこびぞ胸(むね)にもえにし
 
燃(も)えにしをいのちの野火(のび)と
おのづから煙(けむり)に酔(ゑ)ひて、
花雲(はなぐも)の天領(あまひれ)がくり
あこがるる魂(たま)をはなてば、
小(ち)さき胸(むね)ちいさき乍(なが)ら
照(て)りわたる玉(たま)の常宮(とこみや)、
瑯〓(ろうかん)の宮柱(みやばしら)立(た)て、
瓔珞(えうらく)の透簾(すゐだれ)かけて、
ゆゆしともかしこく守(まも)る
夢(ゆめ)の門(かど)。│門(かど)や朽(く)ちけむ、
いつしかに砕(くだ)けあれたる
宮(みや)の跡(あと)、霜(しも)のすさみや、
礎(いしずへ)のたゞに冷(つめ)たく。│
息(いき)吹(ふ)けば君(きみ)を包(つつ)みし
紫(むらさき)の靄(もや)もほろびぬ。
ふたりしてほほゑみくみし
井(ゐ)をめぐる朝顔垣(あさがほがき)の
縄(なは)さへも、秋(あき)の小霧(さぎり)の
はれやらぬ深(ふか)き湿(しめ)りに
我(われ)に似(に)て早(は)や朽(く)ちはてぬ。
 
ああされど、サイケが燭(ともし)、
かげ揺(ゆ)れて恋(こい)の小胸(こむね)に
蝋涙(ろうるい)のこぼれて焼(や)ける
いにしへの痛(いた)みは云(い)はじ。
とことはに心(こころ)きざめる
新創(にひきづ)を、空想(おもひ)の羽(はね)の
彩羽(あやば)もてつくろひかざり
白絹(しらぎぬ)のひひなの君(きみ)に
少女子(をとめご)のぬかづく如(ごと)く、
うち秘(ひ)めて斎(いつ)き行(ゆ)かなむ
もえし血(ち)の名残(なごり)の胸(むね)に。
            (癸卯十二月末)
 
                      (〓〓は繰り返し符号)


  おもひ出〔現代語訳〕
 
(庭梅または庭桜かと言われる)植物のハネズの色は白色を帯びた紅色ですが、その色は、
   水面に褪せて
夕べの雲も沈み切ってしまい
喜びは、(春の青い海で、
真白な帆に、太陽が射すように、
鮮やかに、万遍なく、
涙を流す、思いに従って
浮かんでくる)騒ぎなのです。
 
一度は、夏の林で
吹鳴らす、管の笛の響きが
鳴り響く様子を装って、
狩場の狩衣の男達が
駒を並べて襲って来るように、
恋鳥の鳥笛も楽しく
喜びに胸も燃えたのです。
 
燃えたのは、「命の野火」なのだと
自然と、(「命の野火」の)煙に酔って、
花のような雲の、天人の領布(ひれ)に隠れて
憧れる魂を解き放つと、
小さい胸は、小さいながらも
照り渡る、魂の滅ぶことのない永遠の宝石の宮となるのです、
(その宮に)瑯〓の宮柱を立て、
瓔珞の透簾(すだれ)をかけ、
(神聖なので)触れてはならずと、恐れ多くも守るのです
夢の門を。│(ああ、その)門は滅んでしまったのでしょうか、
いつか、砕け荒れてしまった
宮の跡には、霜が思いのままに降り、
礎も、ただ冷たく残っているのです。│
息を吹いてあなたを包んだ
紫の靄も滅んでしまいました。
二人で微笑みながら汲んだ
井戸を囲んだ朝顔の垣の
縄さえも、秋の霧の
晴れない深い湿りに
私に似て早くも滅んでしまったのです。
 
ああ、しかしながら、(ギリシャ神話の)サイケ(プシュケ)が
(真の姿が分からぬ夫のエロスを見ようとして、約束を破って灯してしまい、エロスの上に垂らしてしまった)蝋燭のように、
影が揺れて、恋の小さな胸に
蝋涙がこぼれて焼けてしまった
(ギリシャ神話の)昔の痛みのことは言うまいと思います。
永遠に心に刻んだ
新しい創を、空想の羽根の
彩り鮮やかな羽根で、繕って飾り
白い絹を纏った、お雛様のようなあなたに
少女が額を地につけて礼拝するように、
秘かに崇め奉らんと思います
燃えた血の名残の胸に。
  (明治三十六年十二月末)

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