2010年 9月 2日 (木)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉15 望月善次 いのちの舟

 大海原の真珠のような詩、それは神によって主宰され、くつがえることもないのです。その詩を求めて私の〈生命の舟〉は、行くのです。
 
大海中(おほわだなか)の詩(し)の真珠(しんじゆ)
浮藻(うきも)の底(そこ)にさぐらむと、
風信草(ふうしんさう)の花(はな)かほる
吾家(わぎへ)の岸(きし)をとめて漕(こ)ぐ
海幸舟(うみさちぶね)の真帆(まほ)の如(ごと)
いのちの小舟(をぶね)かろやかに、
愛(あい)の帆章(ほじるし)額(ぬか)に彫(ゑ)り、
鳴(な)る青潮(あをじほ)に乗(の)り出(い)でぬ。
 
遠海面(とほうなづら)に陽炎(かげろふ)の
夕彩(ゆふあや)はゆる夢(ゆめ)の宮(みや)、
夏花雲(なつばなぐも)と立(た)つを見(み)て、
そこに、秘(ひ)めたる天(あめ)の路(みち)
ひらきもやする門(かど)あると、
貢(みつぎ)する珠(たま)、歌(うた)の珠(たま)、
のせつつ行(ゆ)けば、波(なみ)の穂(ほ)と
よろこび深(ふか)く胸(むね)を撼(ゆ)る。
 
悲哀(かなしみ)の世(よ)の黒潮(くろじほ)に
はてなく浮(うか)ぶ椰子(やし)の実(み)の
むなしき殻(から)と人(ひと)云(い)へど、
岸(きし)こそ知(し)らね、死(し)の疾風(はやち)
い捲(ま)き起(おこ)らぬうたの海(うみ)、
光(ひかり)の窓(まど)に凭(よ)る神(かみ)の
瑪瑙(めのう)の盞(さら)の覆(かへ)らざる
うまし小舟(をぶね)を我(われ)は漕(こ)ぐかな。
             〔甲辰(きのえねたつ)一月十二日夜〕
 
  いのちの舟〔現代語訳〕
 
大きな海原の真珠のような詩
(それを)浮いている藻の海の底に探そうと、
(風信草(ヒヤシンス)の花が薫る
私の家の岸を尋ねて漕ぐ
海の幸を積んだ舟が、その帆に全面の順風を受けて進むように)
〈生命の舟〉は、軽やかに、
愛の帆の印を額に彫って、
音を立てている青い海の潮へと乗り出したのです。
 
遠い海面には陽炎が立ち
夕べの彩りも映える夢の宮は、
夏の花のような雲が立つのを見て、
そこに、秘められたる天の路の
或いは開くこともある門もあるのかと、
(神に)貢ぐ珠、すなわち、歌の珠を、
乗せながら行くと、波の穂も
喜び深く、胸を振るわせるのです。
 
悲哀の世に流れる黒潮に
限りもなく浮かぶ椰子の実のことを
むなしき殻と人は言いますけれど、
(辿り着く)岸も知らない、死の疾風も
巻き起らぬ歌の海では、
光の窓に凭れかかっている神が主宰して
瑪瑙の盞もひっくりかえることのない
素晴らしい舟を私は漕いでいるのです。
             〔明治三十七年一月十二日夜〕

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