2010年 9月 5日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉61 丸山暁 谷間の花園

     
  photo  
     
  写真中央あたり、ちょっと小高い位置にある黄色い台地がお分かりだろうか。さしずめ谷間に浮かぶ花園を思わせるが、その花園は以前は畑だった。

  6、7年前まで、頑固じいさんと働き者のバーさんが、「どうせ鳥に食われるさ」と言いながら、仲良く畑を耕し豆を植えていた。

  頑固じいさんは南部杜氏で、天皇陛下が帝国ホテルで食事をする際に飲むお気に入りの酒を造っているのが自慢だった。彼は、冬場は出稼ぎにいき、春帰ってくるのだが、その時、天皇陛下お気に入りの酒や自慢の酒をわが家に数本持ってきてくれていた。

  今ではそのじいさんもあの世に行き、バーさんも数年後じいさんの後を追った。彼らの畑は今谷間の花園となった。彼らはあの世から花園を見下ろして、なに思う。

  自然や田舎は人の心を癒すという。確かに自然の懐に抱かれると大きな何か優しいなにかを感じることがある。しかし、人が徐々に消え、人の気配が薄れゆく自然は、寂しくもあり時には恐ろしく感じることもある。

  いかに自然が心の故郷、癒しの環境といっても、多くの人間、多分ほとんどの人間は自然の中でたった一人では生きられない。

  都会の喧(けん)騒から逃れ、深い山に分け入ったり山野を歩いていても、数時間どこにも人間の臭い(人工物や人の気配)を感じないと不安になってくる。そんな帰り道、足早に里を目指す夕暮れ時、人の気配や家の明かりを見出せばホッとするものである。

  自然派のバイブルにソローの『ウォールデン(森の生活)』があるが、彼もボストン郊外ウォールデンに一人で小屋を建て、数年自然での暮らしを楽しんだが、結局は都会に帰っていったようだ。

  ただ、孤独といえば自然の中の孤独だけでない。江戸時代生まれの150歳を超えた亡霊が忘れ去られ、時に利用され存在するという珍現象が日本全国あちこちで起きている。

  最後にちょっと話を変えて、卑近な例だが、17、8世紀から20世紀初頭まで世界中で多くの野生児(動物に育てられた少年少女)が報告されているが、彼らの多くは人間社会に復帰しても、言葉の発声や生活習慣において人間よりは育ての親(オオカミや熊や羊など)に近い習性のまま、普通の人間には戻りにくく、寿命も短いという。

  やはり人間は程よい環境の中で、人の間で生きるものなのだろう。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします