2010年 9月 5日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉16 望月善次 孤境(こきょう)

 樫の老木によりかかりながら、一人立つ墓場。この孤独とも言える夕闇の中に浮かびあがる私の世界。この私の世界は、聖なる霊魂によって清められた「白い靄の花びら」のような世界で、愛の歌がかすかに鳴り、私の息は天に通うのです。
 
老樫(おいかし)の枯樹(かれき)によりて
墓碣(はかいし)の丘辺(をかべ)に立(た)てば、
人(ひと)の声(こえ)遠(とお)くはなれて、
夕暗(ゆうやみ)に我(わ)が世(よ)は浮(うか)ぶ。
 
想(おも)ひの羽(は)いとすこやかに
おほ天(あめ)の光(ひかり)を追(お)へば、
新(あらた)なる生花(いくはな)被衣(かづき)
おのづから胸(むね)をつつみぬ。
 
苔(こけ)の下(した)やすけくねむる
故人(ふるびと)のやはらぎの如(ごと)、
わが世(よ)こそ霊(たま)の聖(せい)なる
白靄(しらもや)の花(はな)のあけぼの。
 
いたみなき香(かお)りを吸(す)へば、
つぶら胸(むね)光(ひかり)と透(す)きぬ。
花(はな)びらに袖(そで)のふるれば、
愛(あい)の歌(うた)かすかに鳴(な)りぬ。
 
ああ地(つち)に夜(よる)の荒(すさ)みて
黒霧(くろぎり)の世(よ)を這(は)ふ時(とき)し、
わが息(いき)は天(あめ)に通(かよ)ひて、
幻(まぼろし)の影(かげ)に酔(え)ふかな。
          〔甲辰(きのえねたつ)一月十二日夜〕
 
    孤 境〔現代語訳〕
 
樫の老木の枯れ木によりかかって
墓々のある丘に立つと、
(世間一般の)人の声は、遠く離れて、
夕闇の中に、私だけの世が浮びあがります。
想像の羽根が大層力強く
大宇宙の光を追いかけると、
新しい生きた花のような衣が
自然と胸を包むのです。
 
苔の下安らかに眠る
昔の人の安らぎのように、
私の世界こそ、霊によって聖なるものとされ
白い靄に覆われている花のような、曙にも喩えられるのです。
 
(俗世間が発する)苦痛や悲しみのない香りを吸うと
丸く、ふくよかな胸は、光のように透き通るのです。
(そして)花びらに袖の触れると、
愛の歌が、かすかに鳴るのです。
 
ああ、この大地に夜の荒れ狂い
黒い霧が、世界を這ふ時なのに、
私の息は天に通じて、
幻の影に酔うのです。
          (明治三十七年一月十二日夜)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします