2010年 9月 6日 (月)

       

■ 山荘の光太郎か、正面写真 盛岡市の山岸さんが自宅から発見

 盛岡市三ツ割の山岸鐵太郎さん(79)宅から戦後、花巻の山荘に住んでいた高村光太郎の写真が見つかった。光太郎ファンだった夫人の妙子さん(82)が、友人の写真家の故・近藤一彦氏に頼んで撮影したものという。妙子さんが療養中のため、撮影の場所や年代は確かめられないが、1952年ころとみられる。関係者を囲んだ集合写真もあり、光太郎と地元の人たちとのかかわりがうかがわれる。

  妙子さんは戦後、盛岡市職員として保育園長などを務め、近藤氏が子どもたちの被写体を探してよく保育園を訪れていた。妙子さんは当時の花巻に隠棲していた光太郎のもとを訪れ、会報の原稿を頼んだことがあったという。写真はその際に妙子さんが近藤氏とともに山荘で撮影したとみられる。背景には雪が見え、光太郎は現在、記念館に展示してある上着と同じものを着用している。智恵子が織った紬(つむぎ)で仕立て、愛用していた。

  写真家の山岸さんは近藤氏と「写真集団影」で長年、行動をともにした。生前の近藤氏から、「高村光太郎の大きな写真がある。奥さんにあげた」と聞いていた。妙子さんも「光太郎の写真があった」と口にしていたため、折に触れて探していたが、見つからなかった。

  妙子さんが療養生活に入り、山岸さんが夫妻で撮った膨大なネガや写真を整理していたところ、光太郎の写真が出てきた。大きなサイズと思いこんでいたら、光太郎を大きく撮影した10a×7aの手札判で、紙束に紛れ込んでいた。裏には妙子さんの筆跡で「高村光太郎」と書いてあった。光太郎と関係者との集合写真も出てきたが、少しピンぼけで、近藤氏以外の手によるとみられる。

  山岸さんは「近藤は子どもの様子を写真に撮ろうとよく保育園を訪れていた。家内は光太郎山荘に遊びに行って、智恵子抄のことを聞いたり、盛岡市の福祉の会報に原稿を頼んだことがあったらしい。写真は近藤に頼んで撮ったのだろう。光太郎はあまり写真が好きな人ではなかったと言われるが」と話す。

  花巻市の高村記念会の高橋邦広事務局長は「光太郎をこれだけ正面から撮影した写真は珍しい。服は記念館に飾っているものと同じに見える」と話す。

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