2010年 9月 8日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉193 伊藤幸子 「鏡台」

 鏡台のうつむく癖をもてあまし
                    岸本水府

  連日の暑さに思考力著しくダウン、てきぱきと体も動かない。残暑のけだるさを引きずって「お盆疲れ」と笑いながら医者に行った叔母がそのまま入院、半月もしないで世を去ってもう三回忌がくる。87歳だった。

  その叔母に見せて笑った川柳がこれ。大正生まれの叔母の、身の丈に合った小箪笥の上に何十年も置かれて叔母の起居(たちい)を映し続けてきたものだ。全盛の松尾鉱山に新居を持ち、手入れのゆき届いた調度品の中でも飴(あめ)色に磨きたてられた鏡台は昔乙女の夢を集めて光っていた。

  「かがみぁ なんだがおじぎしたがるおんや…」と叔母が言いだしたのはいつのころであったか。長方形の鏡面を両側の細い枠でとめてあるだけだから、両手で支えてやってもしだいに「おじぎ」し始めるという。そのとき私は修理用のドライバーではなく、バッグから古い川柳の文庫本をとり出したのだった。

  岸本水府(明治25〜昭和40年)三重県生まれ、川柳界最大の「番傘」誌を主宰。明治大正昭和の世相を真正面から詠み、また大正年代「福助足袋」の広告部で次々と新企画。「足袋は福助」の有名なキャッチコピーを作ったことでも知られる。漫画家岡本一平と意気投合、「漫画とは世態人情を穿つ絵を言ふ」として川柳の呼吸さながら互いを刺激し合う面も見られた。

  銀幕のスターのような風貌の水府の、私は新婚のころの川柳が大好き。大正8年27歳で小田勝江と結婚。「綿帽子とればわが家の初めなり」「かんざしの鶴がふるへて初仕事」「寝る段になつて女に用がふえ」大正の、母親と同居の新婚生活がスタート。夫は会社づとめも創作活動も忙しい。「この部屋にふるるべからず原稿紙」「火種吹く母も大分年がより」そうしてこの家にも嫁姑問題がふき出す。

  歳月の澱(おり)はおそろしい。かつてはあんなにいそいそ帰宅していたのに「今は留守が気になる帰り方に変わった」と水府自伝に見える。やがて決定打「姑(しゅうとめ)はわが母親と別な人」と詠む。長命で文運めでたき柳人の若き日の作品に、叔母も私も声をあげて笑った。いつのまにか私も「姑」になったけれど、叔母の鏡台は変わらず「うつむく癖」のまま笑う二人を見つめていた。
  (八幡平市、歌人)


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