2010年 9月 12日 (日)

       

■ 〈介護士日記〉8 生きることは表現すること 畠山貞子

 『かなしみは人の世の常わびしさも かくとうべない生き行かん我か』、「うべない」とは、このようになっていたのだと承諾して…の意である。この短歌はわたしの組みひもの師であった故阿部裕子さんが東京から紫波町に疎開して移り住み、まだ玉山姓だったころの作。彼女は『ぬはり』という菊池知勇(1889-1972)率いる短歌雑書に熱心に投稿していた。だれでもが生きることに大変な戦中戦後の時代である。慣れぬ土地で農家の嫁として暮らし、教師としてへき地に単身赴任する夫を待った。心の支えは、五七五の調べにその気持ちを表現すること。ただひたすら組み台に向かって糸のあやを見つめて組むこと。それで、きびしい時代を乗り越えてきたに違いない。

  わたしは新聞配達先の玄関先に掲げられていた「伊賀白鳳流組紐師範」の看板に誘われて1年ほど組みひもを習った。それが布ひも16本で組む輪投げを作ってインターネットで売る!ということに発展した。商売はうまくはいかなかったがそれはわたしにとって夢を実現するための一歩だった。また、「ぬはり」の話をお開きして、北上市にできた日本現代詩歌文学館に一緒に行こうね…と話していたが、その約束を果たせないまま先生は急逝してしまった。

  先ごろ、わたしは文をつづることが好きな友人と文学館を訪れ、資料室で昭和20年前後の『ぬはり』の中に先生の短歌を見たときはうれしくてノートに書き留めてきた。それは権三ほーるに「紫波の読み人-女性版」として生誕110周年になる西塔幸子の歌と共に展示してある。彼女は女啄木といわれ、小学校の先生としてへき地に暮らした。裕子先生も幸子も苦労の多い生活を歌によって心を磨き、支えられてきた人生だったのではなかろうか。

  「かくとうべない」…人をうらやんだり、人と比べて不満を募らせたりせず、自分を正直に表現して生きること。私はここで思わず涙ぐんだ。不足だらけの自分にはむしろ、思ったことを素直に書くしか能力がなかったのかもしれない。そして、言葉であれ、笑顔であれ自分を表現して得られたものは、人間は信ずるに足るものだという信念のようなものだった。
  (紫波町)


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