2010年 9月 18日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉178 岡澤敏男 柏原とチルチルの声

■柏原とチルチルの声

  短篇「沼森」で発想した「柏の踊り」は童話「かしはばやしの夜」に〈入口から三本目の若い柏の木は、ちやうど片脚をあげてをどりのまねをはじめるところでした」と通じるものがあるが、その源流とみられる素材がすでに「大正六年四月」収録の短歌(歌稿A)に認められているのです。
 
  雲とざすきりやまだけのかしはゞらチルチルの声かすかにきたる(四五七)
 
  この歌と並んで「夕霧の霧山嶽のかしはゞらかしはの雫ふりまさりつゝ」(四五六)という歌稿もあり、賢治が岩手山ろくを夕方ころに訪れたときの作歌とみられます。

  きりやまだけ(霧山嶽)とは岩手山の古名で、夕霧が包む山ろくの柏原の中から「チルチルの声」がかすかに聞こえてきたという。「チルチル」とはいうまでもなくメーテルリンクの6幕12場の劇作『青い鳥』の主人公であるチルチル、ミチル兄妹の兄の名を指すもので『青い鳥』のある場面を想像したのでしょう。それは第3幕第5場「森」という場面で、この森を柏の大王が支配しているのです。

  チルチル、ミチルが青い鳥を探してこの森に迷い込み、いろいろの種類の樹木や動物たちとのトラブルにまきこまれます。聞こえてきたのは彼らとたたかうチルチルの声だったのでしょう。

  だがこの『青い鳥』の初邦訳は大正6年、また舞台での初演は大正9年と原子朗氏が『新・宮澤賢治語彙辞典』に述べている。もしも「大正六年四月」歌稿の素材が『青い鳥』による「チルチルの声」とすれば、賢治の読書歴にミステリアスなナゾが潜んでいるわけで、「賢治はおそらくもっと早く何か他の雑誌の翻訳を読んでいたと考えられる」と指摘しています。

  なお短歌に「かしはゞら(柏原)」と表記されてあることに注目したい。「かしはゞら」とは「松原」が「松の多く生えている原」であるのと同じく「柏の木が多く生えている原」という意味と理解される。

  たしかに当時の岩手山ろく一帯には柏林の景観があちこちに見られたに相違ない。したがって童話「かしはばやしの夜」の舞台の設定は思うまま選択できたと思われるが、その舞台を柳沢と沼森の中間に位置する高森付近に比擬したのかも知れません。

  高森地区に清作の稗畑があったとすれば、童話の冒頭に書かれている夕日が「南の山裾の群青いろしたとこに」落ちる描写は、高森からの方角と合致します。また高森に柏林が所在したとすれば沼森とは約2`ほど離れた距離にあるから、巻末の次の文章の「林のずうつと向ふの沼森」という描写とも合致するのです。
 
  林を出てから空を見ますと、さつきまでお月さま のあつたあたりはやつとぼんやりあかるくて、そこ を黒い犬のやうな形の雲がかけて行き、林のずうつ と向ふの沼森のあたりから、「赤いしやつぽのカン カラカンのカアン。」と画かきが力いつぱい叫んで ゐる声がかすかにきこえました。
 
  沼森平の異空間でざわめく柏の木は、その後も霊的存在として賢治作品に深く定着して行くのです。

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