2010年 9月 30日 (木)

       

■ 〈肴町の天才俳人〜春又春の日記〉14 古水一雄 石川啄木氏ヲ見タ

 前回に引き続き春又春と啄木について述べることにする。
  6月14日には春又春は啄木が店の前を通り過ぎるのを目撃している。
 
  石川啄木氏ヲ見タ、表ヲ通ルノヲ見タ、
  紋付ノ色ノアセタ羊甘(ママ)色ノヲ着
  テ通ツタ、髪ハ分ケテアツタ、ソシテ氣
  (気)取ツタ風ナ偉クモナクテ偉ブル風
  トイウ風シテ居ルラシイガ、如何ヤ、キ
  ミガ為メニ惜シム、青年名ヲナスハ第一
  ノ不幸ナリト、サレドキミノ多作ニ敬服
  スルナリ、ソノ趣味ノ相違ハシマラクイ
  ハズ、キミノ若(弱)冠ニシテ名ヲ成セ
  シ今ノ詩壇ノイカニ幼稚ナルカヲ見ズヤ
 
  この時期の啄木は、「あこがれ」を出版し、妻・節子を娶(めと)り、さらには「小天地」に取りかかろうとしている時期で、経済的な窮乏を除けば啄木の生涯で最も意気盛んな時期である。春又春には、啄木が肩で風切る勢いで通り過ぎていったと感じられたのであろう。

  同日朝の項には“「岩手日報」ノ石川啄木氏ノ「閑天地」読ム、ウマイトコロ有リウマクナキ所有リ”の記述もあり、先の啄木に関する記述はこの感想を受けて夕刻に改めて書き付けたものである。
  
    ◎我が四畳半(一の上)
   我が部屋は四畳半なりと聞かば、読者
  は、「閑天地」の餘(余)りに狭きに驚
  きやすらむ。(中略)
   四畳半とし云えば、何やら茶人(さじ
  ん)めいたるC淡雅致の一室を聯想すべ
  けれど、我が居室は幸いにして然(さ)
  る平凡なるものにあらす。と云えば又、
  何か大仕掛けのカラクリにてある様なれ
  ど、さにもあらず。有体(ありてい)に
  自白すれば、我が四畳半が、蓋し天下の
  尤も雑然、尤もむさくるしき室の一なら
  む。尤も暢気、尤も幸福なるものヽ一な
  らむ。一間半の古格子附いた窓は、雨雲
  色に燻(くす)ぶりたる紙障四枚を立て
  ヽ中の四枚に硝子嵌り、夕日庭の影を宿
  して曇らず。西向きなれば、明々(あか
  あか)と旭日に照らさるヽ事なくて、我
  は安心して朝寝の楽(たのしみ)を貪り
  得る也。午前十時頃に起きて、朝餐と昼
  餐を同時に喰ふは趣味多き事なれど、こ
  の頃は九時頃に起床を余儀なくせらる。
  枕の上にて新聞を読み、五六行読みては
  天井を眺め、又読みては又眺むる許(ば
  か)り面白き事はあらじ。かくて三十分
  位は夢の名残(なごり)のあたヽかき臥
  床(ふしどこ)の中に過す也。(以下略)
 
  「閑天地」の「我が四畳半」は、啄木が新婚生活を始めた一室で書き継がれ、岩手日報には、明治38年6月21日から29日まで掲載されている。

  春又春が“ウマイトコロ有リ、ウマクナキ所有り”は何を指しているのかこの短い文からは推し量ることはできないが、少なくとも筆者には部屋の様子は的確に描かれているように感じられる。

  老舗の当主になるとして厳格な生活を求められていた春又春にとっては、“朝寝の楽”“朝餐と昼餐お同時に喰うは趣味の多き事なれど…、”等といった生活態度は鼻持ちならないことに感じられたのではないか。

  6月21日の日記には、次のような記述も見える。
 
  「岩手日報」ノ啄木氏文アリ、四畳半云
  々ノ文ガ厭味一流の文、吾レ初メコノ人
  ノ文ヲ見テ朝寝臭シト云フ、朝寝ハ月並
  ナリ而シテ今コノ文ニ対ス、「九時頃ニ
  起キザルベカラザル云々、」アヽ臭キモ
  ノニ蓋シタルトテ臭カリシハ可笑シカリ
  キ、
 
  また同日には、
 
  当世ノ文学ハアヽ滔々(とうとう)トシ
  テ朝寝文学ナルカナ
  東天紅ノ趣味は知ラヌ人多シ
  朝寝文学夜深(更)カシ文学茲ニ於イ
  テ女郎文学盛ンナリ
  偉大ナル趣味研究セヨ、
  自己ヲ研究セヨ、自己ヲ知ル人ハ幸福ナ
  リ
  自己ニ偉大ナル光リヲ見出ダシ得タル人
  ハ真ニ幸福ナリ
  幸福ナルカナ、己レヲ知リ己ノ光リヲ見
  ダシ偉大ナル文学ヲツクルノ人
 
  とも書き付けている。啄木の闊達(かったつ)で自在な精神に対して、春又春の禁欲的で求道的な精神は、その文章を受け入れなかったのではなかったか。いわゆる文士のありていな生活態度として春又春は啄木を斬り捨てたのである。さらには返す刀で詩壇にも斬りかかったのであった。
 
  春又春と啄木は、盛岡高等小学校では同級であり(ただし、学級は別)、盛岡中学校では啄木が2級先輩である。同じ校舎に学び、共通の友人を持ちながら交流した形跡はまったくないのである。これまで見てきたように2人の文学上の立脚点の相違が大きくかかわっていることは間違いないであろう。

  また、外交的で先立ちを求める啄木と内向的で求道的な春又春の性格の相違と、崩壊した家族の長として失うもののないある意味では自由な存在であった啄木と、老舗大店(おおだな)の当主として切り盛りをしなければならなかった家長としての春又春といった家庭的な面と経済的な面とがその背景にあり、2人を交わらせることなく終わらせたとも考えられるのである。

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