盛岡タイムス Web News 2010年 12月 11日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉190 岡澤敏男 春子谷地に大貯水池プラン

 ■春子谷地に大貯水池プラン

  晩年の賢治は病床で早春の春子谷地の風景を懐かしく回想しています。

   〔遠く琥珀のいろなして〕(「文語詩稿一百篇)

遠く琥珀のいろなして、
春べと見えしこの原は、
枯草(くさ)をひたして雪
げ水、
さゞめきしげく奔るなり。
 
峯には青き雪けむり、
裾は柏の赤ばやし、
雪げの水はきらめきて、
たゞひたすらにまろぶなり。
 
  第一連は、鞍掛山の麓から雪融け水が枯草の高原を激しく輝いて春子谷地へ向って流れて行く光景、第二連は春子谷地に溢れた雪融け水が岩手山の裾野の赤茶けた柏林を縫って三つ森山に向ってひたすら流れて行く光景が連想されている。

  この詩は雪煙りの立つ岩手山や鞍掛山を臨み、雪融け水が春子谷地から一本木原を横断して三つ森山に向う早春の大パノラマを茄子焼山の麓から心ゆくまで眺望した思い出なのでしょう。四片ある下書稿に、あれやこれや情景を反芻した跡がうかがわれ、三つ森山の遠景は下書稿(一)にある。
 
白樺立てるこの原の
偏光のなかをながれたる
雪融の清き水なれば
ながれひねもすよもすがら
はがねの針に綴りたる
青くつしたのぬらしつゝ
かの三つ森にわたり行きなん
 
  大正時代には賢治が感嘆するほど雪融けの水が鞍掛高原の斜面を溢れてきらきら流れていたのでしょう。それを裏付ける新聞記事がある。大正5年7月13日の「岩手毎日新聞」に「●岩手山麓の大貯水池」の大見出しの記事が載り、〈茄子焼、焼切、鞍掛三山に囲繞さる/土質中には多量の肥料分含有すと〉の小見出しが目を引く。

  この貯水池計画は鞍掛山から茄子焼山に至る約5千町歩に及ぶ「滝沢御料地」内に起案したものでした。これは帝室林野管理局が東北地方開発のために宮内省の予算で行うもので、第1候補地として青森県下北郡田名部に大貯水池を設け、次いで和賀郡岩崎新田開墾の計画があり、第3候補地として選ばれたのが岩手山麓の滝沢御料地でした。

  すでに林野局技師加藤正一氏が実地調査をして有望と認め、尾形岩手郡長を訪問し今後の方針を打合わせて帰庁したという。

  貯水池は鞍掛・茄子焼・焼切の三山によって囲まれた凹地に設けるもので、その凹地全体に約50間の堤防をめぐらして周囲約3里の大貯水池が出現するのです。そしてこの貯水池によって適地50町歩のうちまず20町歩の水田が開墾されるというのです。

  この計画の実施は宮内庁直営で行われ、明年か遅くとも明後年度予算に計上される見込みという観測をしていたが、滝沢御料地における大貯水池計画は沙汰止みとなったのか、新聞はその続報を載せることがなく終わったようです。

  こうして春子谷地の大貯水池は蜃気楼と消えたが、もしも実現していたならば、賢治は春子谷地の早春風景をどのように心象スケッチしたのでしょうか。

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