盛岡タイムス Web News 2010年 12月 17日 (金)

       

■ 〈学友たちの手紙〜野村胡堂の青春育んだ書簡群〉4 八重嶋勲 原抱琴

 ■6巻紙 明治31年1月8日付
宛 紫波郡彦部村大巻 野村長一
発 黒沢尻町諏訪町 原 達
 
目出度もあり目出度もなしなんどはじめから洒落たっぷりの御玉章拝見仕候、
御承知かは知らねど小生の内にては今回黒沢尻へ引きこすことゝ相成り小生は当分下小路葛先生の宅に厄介になることゝ相成り候、
盛岡の新年も至って寂びしく感ぜられ候、門松も、年賀状も、回礼者も見あたらず候、
例の洒落ったる新体詩拝読仕候、いつれ文章にも、言葉にもその人の風采は自らあらはるゝものと被存候、
小生もつまらぬ発句一つ二つ、
除夜に雨いたくふりけれは
年逝くか
   あれ妻戸うつ夜の雨
本年に入りて盛岡の地絶えて雪もなし
  門松をしたひて
   雪もいにけりな
冬季休業にて友人の多くは帰省して甚だ寂し、
冬枯れも木梢に赤う
   柿一つ
まづこんなものに候、
小生は只今は黒沢尻の父母の膝下に有之候
実は昨日まゐリ候、その汽車の中にあやしき男女の私語喃々たる事に外目もうらやましききが入りこみ申候、
当地は盛岡よりも雪などもふり寒気もつよき様感ぜられ候、小生は明日の一番列車にて盛岡へかへり申すべく候へば、御手紙などは以後下小路六十三番戸葛方へ御差出被下度候、
御かへしのかく後れ候は、君の御手紙の仁王小路として来たる故黒沢尻へ回はされ昨日当地へまゐりて始めて拝見仕候次第に候、
まづは御返事と云へば立派だが実はほんの責ふさぎまで、
    失敬々々、 Good-by!
  一月六日       原 達 拝
   野村暁鐘君
 
  【解説】原達は、原敬のおい。原恭の次男として盛岡市本宮に生まれた。明治28年(1895年)岩手県尋常中学校に入学。3年生で東京府立日比谷中学校に転校。5年生で、正岡子規門に入った。俳号抱琴。

  この時、原達は3年生、長一は2年生。原恭家が黒沢尻に引っ越しとなったことを報じ、御大葬で寂しい正月であると言っている。俳句3句も記されている。原達本人は、盛岡市の下小路63番戸葛先生のところに寄留すると伝えている。(紫波町彦部公民館長)


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