盛岡タイムス Web News 2010年 12月 24日 (金)

       

■ 〈学友たちの手紙〜野村胡堂の青春育んだ書簡群〉5 八重嶋勲 きのうも一日空を眺めて

 ■7巻紙 明治31年4月2日付
宛 盛岡市四ツ家町 ゐ川塾内 野村長一様
発 稗貫郡好地村 後藤清造拝
 
御紙面拝読、倉皇為古ヘ所を不知此に蕪文を膝下ニ奉呈仕候、却説帰宅否や参座申度心組ニ候處、家事の都合も有之且ツ節句の事とていそが(は)しく遂其□を得ず候、然る所先月廿三日之十一時御手状到着披見致候處、御親切にも赤石之舟場へ御出迎ひ(へ)との仰(せ)、早速参り度存候へしが、時刻も相後れ候事とて又候不参申、節句之三日の日参座致すべくと心掛居り候處、図らずも郡山へ行き永井への傳達言ひ付けられ候よりて高等学校へ行き、名は知り申さず候が、貴君の家の前とか後とかの御方へ明後日可参旨申上候、廿五日出盛、廿六日の六時の上り直行にて帰宅仕り、一日立ちて貴家へ参り候處、貴兄ニハ既に盛岡へ御出での趣承はり直様帰宅仕候ヘバ、遂貴意に悖候り始末と相成候、
前陳之次第にて失礼致し候、如何にも罪萬死に当り申候、就テハ仰ニ従ひ早速出盛御看病仕度ハ山々なれど、父兄の許さヾるを如何せんよりて明日ハ出盛御詫旁々仰ニ従ひ可申候、先ハ用事のみ、恐惶謹言
         有衣清造奉安拝
  野村尊大人閣下

  【解説】稗貫郡好地村は現在の花巻市石鳥谷町好地。後藤清造は紫波高等小学校、岩手県尋常中学校の同期生。猪川塾同宿の仲間。赤石船場は、長一の住む彦部村大字大巻と赤石村を結ぶ船場。文意はどうも約束の日がすれ違って、しきりに言い訳をしているようである。長一、17歳、盛岡中学校2年生。
 
  ■8はがき 明治31?年4月7日付
 
宛 □□□□猪川様方 □□□長一君
発 □□□□□公園大七号□□原敬方 
                原 達
昨日無事着御恕被下度候
□□□年四月七日
□□□□□芝公園大七号
□□原敬方
   原 達

  【解説】はがきの右上3分の1が破けており判読不能。昨日四月六日東京市芝公園大七号□□原敬方に到着したという文意らしい。「御恕被下度候」とはどういうことか分からない。原達は原敬のおい。岩手県尋常中学校から東京府立日比谷中学校に転校し、この時3年生と思われる。
 
  ■9巻紙 明治31?年4月22日付
 
宛 宇宙間出北偶盛岡市四ツ家町角猪川先生方 野村関山之暁鐘君
発 宇宙の南端国にて 鼾声如雷庵 宇以奴ぢや生 風壮大の助 (後藤清造)
現世の無情□□を余をして数へしめば、春日の大風に2無情美人3蔽(平)明の魔つは惜しむべき花を散らし、惜むべき人岩動君をして赤石村に閑居せしむるの無情ニは岩動氏の戀を叶はせざるの無情には、岩動氏を研究するにあやまるの徒の如き無情之れなり、昨日より大風吹き始まり而も北風なり、即ち北陵より吹き来る風なり、昨日も一日空を眺めて今日も一日空を眺めて暮す、之れ杜陵の空気や来ると心に待ちたるなり、然れとも凡眼ならぬ岩動君もなど風の子にはあらざれば、何れは杜陵の父君か更にわからず、遂に泣寝入しぬ、
未だ吸ふ能はず、杜陵の空気手紙一本、なむあみだ、
昨夜余は怪劇を考へ始めぬ、満足せしときは君が鼻前に談らん哉、然らずば即ち頭の腹痛を治せんか為め之れを撫てんのみ、
康治氏の病気如何
自慢哉
  春に吹き出す
    風の音
目療治の
  毒には梅と
    桜哉
  関山之暁鐘君     幽孤峯仙史拝
ながながし
  春の休の下郎か
    ひるね哉   頓首

  【解説】春の大風で無常にも桜の花が散った。岩動康治(炎天)君が病気で、赤石村に閑居しているという。岩動炎天は、紫波郡赤石村出身で後に医者となる。政治家岩動道行の父。長一の岩手県尋常中学校の一級下。秋田俳句行脚に行った5人の1人。
         (紫波町彦部公民館長)

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