盛岡タイムス Web News 2010年 12月 25日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉192 岡澤敏男 「犬神とは何か」

  ■「犬神」とは何か

  童話「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」は「ペンネンネンネンネン・ネムムの伝記」とともに奇妙に長い題名として有名です。「タネリ」とは主役を演ずる少年の名前だが、「サガレンと八月」という未完の童話にも主役として「タネリ」という少年が登場します。しかもこの少年のほうが初出で先行しているので「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」(以下「タネリは」と呼ぶ)の童話では「ホロタイ」という姓をつけ「ホロタイタネリ」と呼ばせています。

  たぶん「サガレンの八月」は教え子の就職斡旋と妹トシの霊魂を追って樺太へ渡った大正12年(1923年)8月のことを指しており、樺太の北に住むギリヤークの漁師の母とタネリ少年の説話をモチーフとしています。

  母は乾かした鮭の皮を継ぎ合わせて上着をこしらえながら、浜に遊びにでかけるタネリに禁忌(タブー)を言い聞かせます。

  「あそこにはクラゲがたくさん落ちてゐる。寒天みたいなすきとほしてそらも見えるやうなものがたくさん落ちてゐるからそれをひろってはいけないよ。それからそれで物をすかして見てはゐけないよ。」

  このクラゲは刺胞動物の種類で「樺太からの由来」という学名を持つキタカミクラゲなのでしょう。透明な乳白色の傘の縁に触手が分布していて傘に手を触れると刺胞が発射されます。ところが少年は好奇心からタブーを無視して素手で触れたのでタネリの指がしびれ、今まで明るい青い空が「がらんとしたまっくらな穴のやうなものに変ってしまってその底で黄色な火がどんどん燃えているように」見える。刺胞毒が脳神経に作用した幻覚症状だったのでしょう。

  やがて水平線上の雲の向こうから3匹の大きな犬に跨がったギリヤークの犬神がやってきてタネリを捕まえ冥府の海の底に送りチョウザメの下男にするのです。この海のタネリのキーワードは犬神の出現にある。

  「タネリは」の舞台は早春の岩手山麓とみられる。童話の主人公は「ホロタイタネリ」。母は農業の傍らに藤蔓の繊維で布を織って暮らしている。山のタネリは冬中に凍らせた藤蔓を細かに裂いたものを棒でたたいていたが、野原や丘が招くのでたたいた蔓の一束をとり口でニチャニチャかみながら野原に飛び出していきます。すると母がタネリにタブーを告げるのです。

  「森へは、はひって行くんでないぞ。ながねの下で白樺の皮、剥いで来よ。」

  早春のまだら雪をみながら四つの丘を越えて行くと蘆の中から鴇が飛びだしてタネリをひどく暗い深い森へと誘ったが、タネリは森と離れた場所で踏み止どまりました。母が言った「森に入るな」という声が耳にあったのです。森の前には「顔の大きな犬神みたいなものが、片っ方の手をふところに入れて、山梨のやうな赤い眼をきょろきょろさせながら」じっと立っていたのです。タネリは一目散に四つの丘を駆け抜けて母の元へ帰りました。

  この海と山のタネリの災難に共通するキーワードの犬神とは何を指すのか。海のタネリは海底の冥府(めいふ)へと連れて行かれたが、山のタネリは冥府の森を逃れて帰宅できたのです。このように犬神とは冥府の守護神という性格をもつもので、古代エジプトの冥界の支配者「アヌビス」がそのモデルだったのでしょう。

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