盛岡タイムス Web News 2010年 12月 26日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこだれ』石川啄木〉37 望月善次 ほととぎす


  〔小見出し〕夏の一日。家(禅寺)の窓辺で岩野泡鳴氏に手紙を書いておりましたら、後ろの森でホトトギスが鳴きました。愁いを共にする声だと思い手紙にも記したのです。愁いは私の命、私の誇りなのです。
 
  ほととぎす〔七四五調〕
 
(甲辰六月九日、夏の小雨の涼けき禅房の窓に、白蘋の花など浮べたる水鉢を置きつつ、岩野泡鳴兄へ文を認めぬ。時に声あり、彷彿として愁心一味の調を伝へ来る。屋後の森に杜鵑の啼く也。乃ち匆々として文の中に記し送りける。)
 
若き身ひとり静かに凭る窓の
細雨(ほそあめ)、夢の樹影(こかげ)の雫(しづく)やも。
雫にぬれて今啼(な)く、古(いにし)への
ながきほろびの夢呼(よ)ぶほととぎす。
おお我が小鳥、ひねもす汝(な)が歌ふ
哀歌(あいか)にこもれ、いのちの高き声。│
そよ、我がわかき嘆きと矜(たか)ぶりの
つきぬ源、勇みとたたかひの
糧(かて)にしあれば、汝(な)が歌、我が叫び、
これよ、相似る『愁(うれい)』の兄弟(はらから)ぞ。
愁ひの力《ちから》、(おもへば、わがいのち)
黄金(こがね)の歌の鎖(くさり)とたえせねば、
ほろべる夢も詩人の嘆きには
あらたに生(い)きぬ。愁よ驕(ほこり)なる。
 
  〔現代語訳〕
 
  (明治三十七年六月九日、夏の小雨も爽やかな禅寺の窓辺に、白蘋(ひん)の花などを浮べた水鉢を置きながら、岩野泡鳴氏へ手紙を書いておりました。丁度その時、声がしたのです。《その声は》さながら私の愁いの心同じくする調べと思わせる調べを伝えて来たのです。家《禅寺》の後ろの森で杜鵑《ホトトギス》が啼いたのです。このような次第で、急いで《このことを》手紙に中に書いて送ったのです。)
 
若き身である《私が》一人で、静かに身を寄せている窓への
細雨は、夢の樹の影の雫でもありましょうか。
《ああ、この》雫に濡れて、今、鳴いているのは、過ぎ去った時間の
長い滅びの夢を呼ぶホトトギスなのです。
おお、私の小い鳥よ、終日、お前が歌う
哀しい歌に籠もれよ、命の高い声が。│
ああ、それは、私の若い嘆きと誇りの
尽きることのない源であり、勇気と闘いには
必ず必要なものですから、お前の歌は、つまり私の叫びなのです、
この二つは、似通った『愁』の兄弟なのです。
愁の力(考えて見ると、それこそ私の命なのです)であり
黄金の歌の鎖ともなって、絶えることがありませんので、
滅んだ夢も、詩人の嘆きには
新たに命を得るのです。ああ、愁こそ、私の誇りでもあるのです。

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