盛岡タイムス Web News 2010年 12月 29日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉209 伊藤幸子 「いのちのはて」

 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 
             久保田万太郎
 
  火のそばで熱燗をかたむけていると、ゆらゆらと湯気をたてる湯豆腐。湯気の向こうには問わず語りの会話に満ちてゆく人が居ればそれでいい。されど師走の夜半、おもむろに酔いの回ったまぶたをこすり、見上げてみても湯気の向こうに人は無く、鍋のたぎつ音ばかり。

  明治22年浅草生まれの万太郎さん。小説家、劇作家、俳人、NHK勤務等の多彩な活躍で知られるが、氏の作品以上に謎とロマンに彩られた生涯を送られた方である。ここには句兄弟ともいうべき「生(なま)豆腐いのちの冬をおもへとや」の一句もある。「いのちの冬」のときはまだ家庭を捨ててまで一緒になった女人と命の灯を点していられたのだろうが、ほどなくその人にも死なれてしまう。さきに長男を喪(うしな)い、愛する人にもとり残された孤独地獄が見せた「いのちのはてのうすあかり」であった。

  「顔見世の京に入日のあかあかと」自らの戯曲や脚本は新派で演じられたり、昭和12年には「文学座」を結成。京都の南座十二月興業は「顔見世」として先ごろもマスコミを賑わしていた。写真で見ると、六代目中村歌右衛門に似て見える人気文化人であった。

  「べんたうのうどの煮つけの薄暑かな」「蕎麦(そば)よりも湯葉の香のまづ秋の雨」氏はまた大変な食通としても知られる。当時グルメなどという語はなかった。食の奥義を知ればこそ、ウドの煮つけを喜び薄暑の気品が生かされる。次の句は、湯葉を結んだ形が女の島田髷(まげ)に似ているので「おかめそば」と言われている由。「麻布永坂のさらしなの句」と通人たちの語りぐさ。新蕎麦よりもまずハッとした湯葉の香にすかさず一句をものしたその感覚に打たれる。

  「長閑(のどか)なるものに又なき命かな」如何ようにも解釈できるが句意は難解。そんな中、山本健吉さんの一文を読んだ。「-季節の好みも好き好きである。とつくづく思ったのは亡くなった久保田万太郎氏から『私は五月はきらい』と聞いたときであった」とあり、「なんで?」とは問わない。やがて昭和38年5月6日、梅原龍三郎邸での会食中、鮨の赤貝を喉につまらせて、まさかの急逝。73歳は若すぎた。氏の5月が嫌いなわけを知るべく、その5月に逝かれたふしぎさを胸に、私はこれからも万太郎作品を読み続けたいと思っている。
(八幡平市、歌人)


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