盛岡タイムス Web News 2010年 12月 30日 (木)

       

■ 〈記者の見たこの1年〉南北の「街」再生へ

 今年は国の内外が騒がしかった。政治とカネや検察の不祥事、中露との領土問題など各界で信頼が大きく揺らいだ。夏は記録的猛暑になり、依然厳しい就職難で閉塞(へいそく)感が増した。本紙記者の見たこの1年。きょうとあすの2回に分けて紹介する。

 今から30年以上前、盛岡の南と北に「タウン」と「シティ」ができた。当時の流通業は群雄の時代。どちらも大手スーパーを核店舗に、テナントが華やかに軒を連ね、見知らぬ街がこつぜんと現れた。

  自分はまだ中学生で「市内から都南村や滝沢村の近くまで買い物に行く人がいるの」と、いぶかった。「これからは駐車場が広くて、車で買い物する店がはやるそうな」と聞かされても、どうもピンとこなかった。

  それから5年、10年たち、南北2つの街に乗り付けるマイカーはだんだん増えていった。20年たったころには、タウンやシティを天守閣に、家臣の屋敷のごとく周りを固めた大型店群が新たな「城下」をかたちづくった。もとの城下町の商店街には閉店が増え、盛岡に限らず全国の都市で中心部と郊外の商業対立が叫ばれた。

  その後、盛岡にさらに大手のスーパーが進出して競争は一層、激しくなった。長引く平成不況に、本社側の事情でタウン、シティは相次いで落城した。核店舗は閉店し、一時の栄華を夢に、跡地は静まりかえっている。

  しかし30年の歳月に、その周囲で堅実に続いてきた個人商店がある。いくら更地になろうと、長年たつきを立てた街からは離れがたい。「いつまで廃虚のままなのか、うちも毎日休みのようだ」「店がなくなっても道路を毎日掃除しているのだが」と、店主たちはため息をついた。

  今年、どちらも跡地に買い手が付き、別の大型店の進出が決まった。残った人たちのためにも地域の根城として再生するよう願う。

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